某身内が重篤な病を宣告された。
医師からは「手術」「抗がん剤&放射線治療」「放置」の3方針を提示され、本人含め家族全員、さんざ悩んだ末、「抗がん剤&放射線治療」を選択することになった。
私は話を聞くことぐらいしかできなかったのだが、その決断に至るまで、家族それぞれがどれほど悩み苦しんだか、こちらも胃が痛くなるような毎日だった。
そして、決断から約半月後の先月末が抗がん剤治療の第1日目だった。
…のだが、できなかったのである。
なんと、治療前日、仕事で出かけた会合で「飲んだ」のだ。それも泥酔して正体不明になるほど。病院に着いたときにも、まだ二日酔いのふらふら状態だったらしい。
病気が判明してから半年以上1滴も飲まずにきたのに、よりにもよって前日、飲んでしまった。
飲んだら抑えがきかず、浴びるほど飲んでしまった。
家族全員、第1回目の抗がん剤治療に向け、気持ちが張り詰めていたのにこの結果。「心が折れた」と言い「もう、どうなってもいい」と言うのだが、私はこの話を聞いたとき、不謹慎にも笑ってしまった。それどころか、安堵した気持ちにさえなった。
明日から始まる治療が怖くて敵前逃亡したのか。命にかかわる分岐点に来ているのに、お酒の誘惑に勝てなかったのか。
どちらにしても、まるで「子ども」。もう80に近い御年なのに……落ち込む家族には申し訳ないけど、もう笑うしかなかった。
でも、逃げ出したくなる気持ちも痛いほどわかるから切ない。
こういう確信犯、少なくないのだろうか。
病院側は、決して怒ったりせず、2週間後の再予約を入れてくれたそうだ。
重篤な病だが、今のところ、本人には何の苦痛も不具合もない。この2週間、抗がん剤の副作用は味わわなくてすむ ―― 私が安堵した理由はこれ。
1年後より目先の楽を選んだ、という点では、本人も私も同じだ。
結局私も、間近で苦痛を見なければならない苦痛から逃げている。
生きるとは なんと苦しい ことだろう
鞠子