スーパーのレジで、私がカゴに入れたズッキーニだけがどうしてもバーコードを読み取れず、レジスタッフが悪戦苦闘していた。シール部分を広げてスキャンしても、手動式のバーコードリーダをかざしてもダメで、スタッフ、とうとう「コードナンバーを手入力する」という最終手段に出た。

ところが彼女、コードナンバーが読み取れないようで、引き出しから「虫眼鏡」を取り出して凝視し始めた。

どうやらローガンっぽそうだ。私よりうんと若そうな人なんだけどなぁ。

 

昨夜、『華大くんと千鳥さん』で、針に糸を通すゲームをやっていた。

チャレンジしているのは40代から50代前半の男の芸人さんたち。

これが人によって、出来不出来が全然違うのである。若いから早い、というわけでもなかった。「針も糸も見えへん」と怒りをぶちまけていた人もいた(←ま、芸人さんだからね。笑いを取ろうとしているかもしれないが)。

 

私は今も、裸眼なら、針に糸を通すのはなんなくできる(←ただし、裸眼だとテレビは見えません)。

 

経年によるこうした不具合の差はどうして生まれるのか。

 

生まれつき備わった「からだの力が違う」からか。

だとしたらやっぱり「親ガチャ」だ。どうしようもない。

いや、その後の生活習慣、例えば見るものの種類や見る時間が違うからか。さらには食物、睡眠時間等も、変化の質や速度を変えていくのだろうか。

それなら「自己責任」ということになる。

 

たぶん、その両方が合わさって、差が生じるんだろうな、とは思うが。

 

偶然、「手元が見えなくてイラつく人々」を立て続けに見た昨日今日。

ローガン一つとっても、人によって全然違うことを理不尽に思いつつ、基本的には誰もが目の老化で不自由な思いをしているのだと安堵もした。

 

多かれ少なかれ、不自由は、みんな、同じ。

でもいずこも、老は切ないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

見えぬもの 天の恵みと 思えるか

鞠子

 

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