2022年の私は「凶」。

年明けに見た星占い、干支占い、暦占い、etc.etc. どの占いを見ても「凶」ばっかりだった。

あまりに「凶」「凶」「凶」なので、覚悟せざるを得なかった。今年は何かある、悪いことがきっとある……

そして、半年が過ぎようとしている。

 

この半年間を振り返ってみると、コロナもどきの「喉頭炎」や原因不明の「腹痛」など、直面したときは相当身構えた出来事もあったが、総体的に見れば「平々凡々」。ただ、「周囲で起こった不幸」が半端なかった。

みな、私の「凶」を代わりに背負ってくれたのだろうか。

ただ、どの不幸も、決して「私じゃなくてよかった」と思えるような事柄ではなく、実は「周囲の不幸を見る」ことが、私にとっての「凶」なのではないかという気すらしている。

 

そんなこんなで気持ちが一向に晴れないのだが、今、私の気持ちをますます曇らすヤカラが職場にいる。

この御仁、パソコンに向かって日がな一日「ため息をつき続ける」のである。その合間合間に、負の独り言を繰り返す。

そう言えば、このヤカラの笑顔を見たことがない。

そんなのほっておけ、無視しろ、と必死に己を叱咤激励してみるのだが、ため息や独り言の重さと回数と気味の悪さにどんどん引きずり込まれ、テンション下がる一方の私。

 

かつて、人のため息で心が曇る、なんて、考えたこともなかったが、負のオーラを放出する人が近くにいるとこちらも負の方向に向かってしまうことを初めて知った。

 

ここしばらくザ・ドリフターズの古い番組を観ているのも、無意識のうちに笑いの栄養を得ようとしている気がしてきた。

民放はほとんど観ないのだが、『火曜は全力!華大さんと千鳥くん』や『千鳥のクセがスゴいネタGP』は観る。観て何となく笑う。『IPPONグランプリ』も観て笑う。

そのあと、間違いなく癒され感がある。

 

周囲の不幸にせよ自身の不幸にせよ、やっぱり「笑う」ことは大事なのだ。そうしてプラスのオーラを出す人の近くに意識的に身を置くことが。

でなければ、周囲の不幸にも自身の不幸にも立ち向かえない。

年度当初、「凶・凶・凶なら、開き直ってやる。どんな凶事が訪れようとも、なにかしら、どこかしら笑える要素を見つけて笑ってやるぞ」と決意したことは、まんざら間違っていなかった。

 

そうだよ、2022年、私の抱負は「笑」と決めたんだった。

1年365日、毎日、一度は笑う。何があっても笑おう、と。

半年経とうとしている今、再度、「笑」を心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

笑うとき その刹那のみ 救われる

鞠子

 

 

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