NHK朝ドラ『カムカムエブリバディ』。
確かに十分楽しませてもらったが、だからこそ、「音楽」の扱い方、これだけはやっぱり許せなかった。「終わり良ければすべて良し」のまさしく逆で、終わりにさらに許せぬ感が増幅した。
長らく音楽に触れず、もちろん鍵盤にも触れていない錠一郎が、いきなりプロのピアノ弾きとしてジャズバンドに参加すると言い出した回で、まずは「鍵盤を甘く見るな!」と怒りがこみ上げた。
さらに最終週、錠一郎は妻のるいに、すれ違ったままの母に向けて「『On The Sunny Side Of The Street』をステージで歌ったらどうか」と持ちかけた。
プロのステージに、個人的な理由で素人を出す。それも、メインメンバーではない錠一郎が勝手に提案するとは。そのバンドの花形スターであるトミー北沢の許可も得ず。素人さんたちの発表会ならばともかく、プロのコンサートならありえん話でしょう。
それを引き受けるるいもまた、変。
さらに追い打ち。
コンサートの最中にもう二度と会えぬと思っていたお母さんが、娘に背負われてやってきた。その姿を見て、るいの歌が止まった。気持ちを振り絞ってまた歌い出したものの、声はもはや感情丸出しに。そして、曲が終わったら客席におりてきて、母と抱き合って……
ドラマ的には感動的な和解。でも、コンサートでは、これ、どう考えてもやっぱりダメでしょう。いわゆる「公私混同」じゃないの。
観客は、お金を払って聴きに来ている(←それもおそらくトミー北沢のトランペットを目当てに)わけで、安子・るい親子の和解を見に来ているわけではない。第一、るい親子のすれ違いなど、一部の聴衆を除いて知るよしもない。
私もこれまで、実際、この手の状況に2度、遭遇したことがある。
1度目は、地元の交響楽団。
途中で楽団員がステージ衣装のまま客席に来て、私の前方の席でエア演奏し、感極まり、大泣きしていた。
2度目は、プロの声楽家のコンサート。
このときの伴奏ピアニストが感情爆発で、派手に体は揺れるわ声こそ出さないが一緒に歌うわ、途中で泣き出すわ。
どちらもそれらの曲にまつわって、何か出来事が、あるいは深い思い入れがあったのだろう。気持ちはよくわかる。だが、聴衆にとっては「関係ない」ことであり、そういう行動はうっとうしくてたまらない。
やるなら舞台のそででやってくれ! そう思った。
『カムカムエブリバディ』、面白かっただけにとっても残念。
新しい『ちむどんどん』は、大森南朋サマが出ているので、思いっきり挽回するぞ(←これもまた、まったく自分勝手な話だが)。
聴衆が 音の力を 創り出す
鞠子