(1)康サマ
新聞で、町田康サマが『男の愛』という本をお出しになったことを知った。
「町田康サマ」というくらいだから、私にとって町田康は一種、カリスマ的存在。明治の文豪たちも好きだが、町田康サマも中島らもサマも好き。私の中では甲乙つけがたい。
特に康サマは、何といっても作品が、まるで「パンクロック」。内容的には、私の固い頭では理解不能な部分も多々あるのだが、言葉の流れがいかにもパンクで、まるで音楽。独特の魅力を放っている。
その上、見た目も堂々「パンクロック」。角川書店から出ている文庫『パンク侍 斬られて候』の表紙を飾る康サマのコスプレ写真にぞっこんだった。
…のだが、今回の新刊に関するインタビュー記事の写真を見て目を疑った。
あの康サマが、パッと見「普通の人」になっているではないか……
うそやろ……
ロック系の人は、年老いてもロック系であると勝手に思い込んでいた。
例えば内田裕也とか、ミック・ジャガーとか。おじいさんになっても「ロック」でしょう。
なのに康サマは普通の人に……
私の知らないところで知らない苦労がヤマのようにあったんだろうな、きっと。
(2)沢田研二サマ
夕べ、なにげにテレビをつけたら懐かしい『夜のヒットスタジオ』が映った。
黄色のスーツ姿のジュリーが『勝手にしやがれ』を、その後、金モールのついたえんじ色っぽい衣装で『憎みきれないろくでなし』を歌った。
50年近く前の映像。なのに、他の出演者に比べ、ジュリーだけは今見ても全然古臭くない。むしろ、あんまりカッコよくて、驚いてしまった。
ジュリーと言えば、驚きの極致は『時の過ぎゆくままに』。
あの退廃的な色気は、ジュリーならでは。他の誰にも出せやしない。
対する夕べ聴いた2曲は、きわめて軽薄な男が、淋しさを隠して最大限に気取って見せる。その姿もやっぱりジュリーならでは。思わず、目も耳も釘付けになった。
BACHも好きだがこの当時のジュリーも好き。そう、この当時。だから、今のジュリーを思うと、なんとも切ないのである。
どうしようもないことなんだけど。
(3)オオノさん
近所の一人暮らしの女性・オオノさん。
もともときれいな人だったのである。色は白いし目鼻立ちも整っている。服装もいつもそれなりにきちんとしていて、うらやましい限りだった。
そのオオノさんに、今日、久しぶりに会った。したらば、めっきり別人になっていて驚愕した。
マスクで下半分は見えなかったが、おでこも目のまわりもシミだらけ。髪の毛もぼさぼさだし、服装もだらしなくなっていた。
会ったのは半年ぶり? 一年ぶり? それにしても、こんなに急に変わるものなのか。
…と同時に、私自身も、人から見たら同様に驚愕されるほど変わってしまっているだろうか。
夕べから今日にかけて、「老」の怖さ、トリプルパンチを食らったかの如くだった。
…やっぱり今のうちに、好きなこと、しとこ。
年月に 抗いきれぬ 己見る
鞠子