昨日、客様Y氏と話しているとき、とある思い出を話されて、なかなか感動した。
かれこれ30年くらい前、私はY氏を含め、10人くらいの客様と共に勉強会を企画した。
話し合いを進めるうちに、問題提起者としてF社のF社長の名前が挙がり、私が依頼するハメに陥った。
F社長はいろんな意味で「重鎮」。おまけに私には全く面識のない人。
こわごわ会社に電話した。
F社長、会社にいらしった。
娘か孫の年齢な私、いったいどうやって頼んだのだろう。おそらく、幼稚な理屈を並べたのだろうが、F社長はともかく引き受けてくれた。
以来、当日までの間、会社にお邪魔し、数回の打ち合わせを行った。
その際に、F氏が言った「社長に就任するとき、前社長(←奥様の父上)から、現事業の売上か利益を倍にする、あるいは新規事業を軌道にのせる、そのどちらかができるまで、本当の意味で、社長とは認めない、と断言されたんです」が、今も鮮明に記憶に残っている。
···のだが、 Y氏曰く、「F社長、そんなこと言ったっけ?」
···全然、記憶にないのだそうだ。
それどころか、Y氏が言うには「F社長から『頼まれ事は試され事』と聞き、ズキッとした。厄介な頼まれ事がくるたび、いつもF社長のこの言葉を思い出す」。
···私には「頼まれ事は試され事」などという言葉をF社長から聞いた覚えは全くない。
他にもこの勉強会についていろいろ話したのだが、私とY氏に共通している思い出は皆無だった。
同じ経験をしても、何に感動するかは千差万別。
何が記憶に残るかも千差万別。
そんなこと、当たり前なんだけど、これほど明確につきつけられたこと、今までなかった気がする。
私とY氏、異なる勉強会の話をしているみたいだった。
それはそれで、面白いかった。
なかなか感動した。
面白さ 感じることすら 変わりゆく
鞠子