一昨日、梅を観に行った。
…などと書くとのんびりお気楽なものだが、実は心中大嵐で、在宅勤務などまったりしていられなかったのだ。
一昨日は、私一名、出勤担当だったのだが、例のウイルスによる某事が勃発し、出勤早々いきなり在宅担当に変更。もともと一日職場にいるはずだったので、職場でしかできない仕事をためておいた上、とにかくいきなりな話で、とるものもとりあえず帰宅する羽目に。
こういうことがいつかは起きるという思いもあったが、一方で、こんな状況に陥らせた張本人のあまりの不手際にも腹が立つ。
家でできる仕事がない。そして落ち着かない。もう、散歩に出るしか心を静める方法を思いつかなかった。
…と自分自身に弁解し、ぶらぶら歩いて片道ほぼ1時間、梅が有名な公園に出かけたのである。
この公園に来たの、何十年ぶりだろう。
「幾夜寝覚<いくよねざめ>」とか「早咲鶯宿<はやざきおうしゅく>」とか、風流な名前の梅・梅・梅。梅ってこんなに種類があるのか。それも、パンフレットを見たら、全部が全部、全く花の顔が違う。
ちょっと驚いた。
だがしかし、どの木も花はほとんど咲いていない。
時期的に、梅まつり真っ最中なのだが、「この時期に、こんなに咲いてないのも珍しい」と管理をしているおじさんが近所の人と立ち話をしている声も聞こえてきた。
これもちょっぴり、驚いた。
そして何より驚きだったのは、まるで公園の敷地内みたいな位置に、びっくりするような豪邸が建っていたこと。その上、背景と化している小山の中腹に、豪邸の表札と同じ名字「S」を記した石碑まで、それも複数立っている。
思わず、豪邸のまわりをうろついてしまった。他にもうろついている観光客らしき人も何人か。みな、私と同じ、「この家は何?ここの人は誰?」的な、俗な好奇心からだろうと思う。
その場で即スマホで調べてみた(←ますます俗・そして下品)。
なんと、公園自体、もともとS家の「庭」だったのだ。それをS家が一般市民に開放し、その後、市に寄贈した、とのこと。
生まれてこのかた、ずっとこの市に住んでいるし、それこそ小学生のことから知っている公園なのに、そんないきさつは全く知らなかった。
S家はなぜ、寄贈したのか。寄贈した後、市政に有形無形の影響力を与えようとしたからか。
そう考えると、あの豪邸の上から、「シモジモの者たちが梅を楽しんでおるわ」などと言いつつ見下ろされているような気がしてくる。
いや、S家が代々経営してきた会社は、確かずいぶん前に吸収合併されたはずだ。だとしたら、管理が手に負えなくなったのだろうか。市に寄贈したのは合併前か後か。
ま、そんなこと、どうでもいいか。立ったままググるのも、もう面倒だ。
…そう思いつつ、公園を後にした。
梅は、冬の寒さを耐え抜いたような小さな固いつぼみから開花し、控えめな美しさと香りで人を魅了する。
なのにそぐわぬ鷲津政彦のこのセリフを思い出してしまい、朝のドタバタ劇とも相まって、帰り道、足取りも気分も妙に重かった。
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人生の悲劇は二つしかない。
一つは、金のない悲劇。
そしてもう一つは、金のある悲劇。
世の中は金だ。
金が悲劇を生む。
――ドラマ『ハゲタカ』より
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茶青梅<ちゃせいばい> 青空仰ぎ 何思う
鞠子