私は、客様Tさんと駅前を歩いていた。
これから、文学講座に出席する。
時間ギリギリなので相当急いでいるのだが、ふと「マスクをしていない」ことに気がついて、愕然とした。
Tさんとは、家を出るときからいっしょだったんだから、一言、言ってくれればよかったのに。
お門違いとわかっていつつ、私は彼女を恨んだ。
それとも、私のノーマスに気がつかなかったのか。あるいは、マスクの有るなし、彼女にとってはどうでもいいことなのか。
いずれにしても、今となってはマスクを買うしかない。
講座会場までにある店をきょろきょろ見た。だが、どこも50枚入った箱入りしか売っていない。そんな箱、持って歩きたくない。今日、使うだけだから、1枚、ほしいだけなのだ。それも、できれば柄入りか色つきのおされなマスクが買いたい。
しかし、そのような1枚だけのおされマスクは、どの店先にも見当たらない。
店内に入って探すような時間的余裕はない。
Tさんまで遅刻させるわけにもいかない。
早くしないと…… それでも、気に入ったマスクが買いたい…… でもどうしても見つからない……
だめだ、時間切れだ。
私は、店先に積んである箱入りマスクを勝手に開けて1枚取り出し、急いで装着した。
これってドロボーだよな、と思いながら、さしたる罪の意識もなく、ずんずん歩いて講座会場に向かった。
……私は、自分でも悦に入るほど、夢のなかでは名作家だと自負しているが、とうとう犯罪者にまでなり下がった己を描いた。
マスクを盗んだ私を、Tさんはスルーした。だからTさんも同罪だ。
Tさんも共犯者にしてしまった。
今でこそ マスク泥棒 笑えるが
鞠子