ずっと空き家になっていた我が家のとい面のお宅に買い手がつき、近々、新しい人が越してくる。
昨日、家の持ち主の娘さんが、わざわざ挨拶に我が家にいらしった。
正直に言うと、なんとなく「嫌な予感」がする。
娘さんたちは結婚して家を離れ、その家は、おばあちゃん一人住んでいた。
だが施設に入所され、以来空き家状態。結局、そのおばあちゃんも亡くなり、娘さんたちが時々、風を入れに来ていた。庭師さんも、季節ごとに、剪定や草抜きに来ていた。だから、よくある「無人ゆえの廃墟感」は全くない。
外観もなかなか個性的でかっこいいし、庭も相当広い。松も植わっていればハナミズキも植わっている。中の造作はよくわからないが、おじいちゃん、おばあちゃんの職業、娘さんたちの経歴や職業からすると、おそらく「茶室あり・音楽室あり・和室あり・洋室あり」。少なくとも我が家の二倍の面積、二倍の部屋数があろうと思われる。
そう、この家、いわゆる「豪邸」なのだ。
古いことをのぞけば。
そんな家に新しく越してくるのが「子どものいない20代の夫婦」と聞いて、とっさに「嫌な予感」がしてしまった。
スーパーもなければコンビニもない。学校も遠い。立地的にも周りの環境的にも、このあたり、いろいろ不便で若い人が好むと思えない。
家の前の道が狭いため、路駐などできず、友だちが来ても困るだろう、と思う。でも、だからこそ、ムリムリ路駐されたら、私は車の出し入れが非常に難しいことになる。
そもそも、こんな大きな家、不必要ではないか。何十年も他人が住んでいたこの家を買うくらいなら、同じ値段でコンパクトな新築建売住宅が買えそうだ。なのに、なぜ。
持ち主が壊そうが売ろうが、近所がとやかく言うことではない。本来なら、娘さんはもうここに住んでいないのだし、挨拶に来る必要だってない。「母が独居のとき、お世話になったので」と、わざわざ心を尽くしてくれたのである。
来週から、とりあえずリフォーム業者が入るとのこと。
特別なことは望まない。ごく普通の人たちで、ゴミ出しや駐車や生活音など、最低限の常識さえ守ってくれたら、それでいい。
まだ、どんな人が来るのかわかりもしないうちに考えすぎかもしれないが、どうにも嫌な予感がぬぐえない。
環境が 変化し安心 消えていく
鞠子