会話しないと会話できなくなる | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

新型コロナが出没する前、毎週金曜日は合唱団に参加していた。

練習は9時に終わり、そのあと、音楽トモたちとファミレスで食事、ドリンクバーで朝帰り…毎回、これだった。毎週毎週会っているのに、よくもこんなにしゃべることがあったものだ、と思うのだが、今はどうか。

 

合唱団は無期限休止状態になっているので、もう1年以上、彼女らとファミレスへは行っていない。ときどき、メールのやりとりをしたり、個別にごくたまに、本当にごくたまに、コンサートに行ったりしただけ。

しょっちゅう会わないんだから、本来、話したいこと、伝えたいことがヤマほどあるはずだ。

なのに、会わなければ会わないほど、「会話ができない」のである。

 

たとえば先方からメールがくると、その内容つながりで、こんなことがあった、あんなことがあった、と頭に思い浮かぶものの、「少ない機会だから、伝える事柄を精査すべきだよな」と思い「こんなことを伝えてやりとりを引き延ばしたら、きっと迷惑だろうな」と思い「じゃあ、これはわざわざ伝える必要、ないな」と思って、結局会話が続かない。

 

夕べも、これはメールで連絡しよう、と思った事柄があったのだが、次の瞬間、ふとわざわざメールを打つほどのことではないな、と思い、止めてしまった。

 

音楽トモとだけではない。

コロナのせいで、あるいは全く別の理由で、「しょっちゅう会っていた」「しょっちゅう話していた」という関係が途切れると、へんな気を遣ってしまい、会話ができない。

そのうち、人とコミュニケーションを取るのが面倒くさくなる。

そうこうしているうちに、より一層老けていく。

 

…って私だけ?

 

 

 

 

 

 

 

あのころは 笑って怒って 泣いて朝

鞠子  

 

 

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