休み明け、職場のPCに客様W社長から「取引停止したい」旨のメールが届いていた。
その文面に「4月、取引停止を依頼したが、鞠子さんに引き留められ今日に至っている。だが、今月末、決算なのでいったんやめることにする」と書かれている。
ショックだった。
取引停止だからではない。それ以上に超ショックだったのは、私がこの人を「引き留めた記憶がない」こと。それも「記憶全くゼロ」なのである。
W社長は、私の担当でもないし面識もない。
そんな人からの取引停止の申し出を、電話のやり取りだけで覆した、という「大事件」を全く覚えていないとはどういうことか。
知っている客様なら、なにかしら琴線に触れるようなことも言えるかもしれないが、面識のない相手を私はいったいどうやって説得したんだろう。
一人ぶつぶつ言いながら手帳を見たり、ノートを探ったりして必死に記憶を手繰り寄せていたら、横からオトコ後輩が、「オンラインが不得手だから、と言われて、マニュアル、つくってませんでした? で、4月末の会議に、一度、出てみろ、とか勧めてませんでした?」と言い出した。
マニュアル? そんなもの、つくったか? まだ何も思い出せない。だがしかし、マニュアルをつくったんだとすれば、そのデータが残っているはずだ。
自分のPCのフォルダ内を懸命に探した。
…あった… ごく簡単なマニュアルと最低限の操作法が書いてある。それも「会話調」で。
超ショックが超超超ショックに変わった。
何も覚えていない。そばにいたヤカラでも覚えていることを、本人が覚えていない。
マニュアル文書を見ても、記憶の糸口がつかめない。W社長をどう説得したか、まるで記憶がない。
こんなマニュアルだけで、W社長が決意を覆すとは思えない。何か、他のことも言ったんだ。だけど思い出せない。だから何のフォローもしていない。その結果が今回の取引停止メールに……
弁解はしない。
ショックが大きすぎて、弁解する気にすらなれない。
「老いた者は引くべきだ」の意味が、じわじわ胸に突き刺さるだけ。
極太の 糸すら見えぬ 老いた目ら
鞠子