本日、マイカーは車検だった。
車関係のことは、私はすべて天下のあの自動車メーカーのディーラーにお任せしている。おそらく割高なんだろうが、なんといっても車のことがよくわからないため、天下のあのメーカーなら大丈夫だと信頼しているからである。
だけどここのところ、微妙な「?」を感じることが、たびたび起こっている。
今日も、事前にタイヤまわりの〇〇(←正式名称を言われたのだが、覚わらない)という部品を変えなければならないかも、という予告があった。先回の点検の際、既に〇〇のゴム部分が経年劣化していたので、とお言いになる。
部品の展開図みたいなものを見せて説明してくれた。
説明自体はよくわかった。ゴムの劣化も理解できる。走行中、トラブルが起きたら嫌なので、危ないところは直しておいてほしい。
…だがしかし、しばらくして、オドロキの電話がかかってきた。
「先ほどご説明した○○ですが、先回の点検のとき、交換してありました」
…?…?…?…?…
天下のこのメーカー、作業工程や使用部品の管理など、どこにも負けないほど完璧にやっているのではないのか?
だがしかし、私もどうかしている。
先回の点検のとき交換したなら、その説明を受け、お金を払ったはずだ。なのに、〇〇という名前も覚えがなければ、余分にお金を払った覚えもない。
ディーラーにも自分自身にも、募る不信感。
さらに、代車の件でもプチトラブル発生。
コロナ禍以前は、車検や点検を「電車で長時間出かけるため車を使わない日」にお願いしていた。だが今や、そんな外出は全然ゼロなので、スーパーぐらいは行くかもな、と思い代車をお願いしておいたのである。
それなのに、応対したスタッフNさんは「代車はいらなかったですよね」とあっさり。
「いや、今回は頼んでおいたんですけど」と反論したら、Nさん、慌てて事務室に確認に。
その結果「すみません。聞いてました。手配済みです」。
応対時、操作しているそのタブレットは機能していないのか?
コミュニケーションが悪いのか?
その他モロモロ、キリがないほど「?」の蓄積があり、今回の車検で相当我慢の限界にきた。
もうネームバリューにこだわっている時代ではないのかもしれない。
特に私のような車にうといドライバーは、ネームより「堅実で誠実な技術者」がいる街の修理工場とか販売店を頼った方がいいのかもしれない。
車だけじゃなくて、電気とかガスとか、一つ間違ったら大ごとになってしまう機器は、小さくてもプロフェッショナルな事業者と「お抱え」みたいな関係づくりをすべきではないかと思い始めた。
…でもなあ、今やそんなプロフェッショナル自体、なかなか見つからないだろうな。
目に見えぬ 小さな部品が 我運ぶ
鞠子