八街市の交通事故。
ニュースを見ていて耐え難くなった。
亡くなった子。
重傷の子。
その親さんたち。
直前で別れて事故を避けられた子。
その親さん。
子どもを運んだ救急隊員。
治療にあたる医師や看護師。
朝陽小学校の先生たち。
容疑者の家族。
容疑者が勤める会社の社長。
……関わる人々をいくら取り上げても、辛い目に遭わされている人ばかり。
酒を飲んで運転した。その行為を非難するのは簡単だが、ベテラン運転手が、なぜそんなことをしたのか。それがどういう結果をもたらすか、十分想像できただろうに、それでも飲んだ背景には、心身の病が潜んでいるのか。
だとすれば、単に、飲酒運転を責めるだけで済む問題じゃない。
かといって、関わる人々の苦しみが軽減するわけではない。むしろ、苦しみのやり場がなくなってしまう。
なんだか、加齢とともに、直接知らない人の不幸まで抱え込んで、心身ともに消耗するようになった。
私が抱え込んだところで、何も変わらないのに。
それだけ、私自身に不幸がない証拠か。
それもまた、申し訳ない気がして悲しくなる。
見なければ 苦しまずとも 済んだのに
鞠子