哲学者・内山節氏が、東京オリパラ延期・中止どころかオリンピックそのものの廃止を議論すべきだ、という強烈な意見を新聞に載せていた。
スガ首相は、先回の東京オリンピックの思い出がいかに自分にとってすばらしいものであるか、党首討論の場で延々と語っていたが、内山氏にとっては、真逆の思い出だった。氏の家の近くで競技会場をつなぐ道の拡幅工事が行われ、道路沿いに住む人たちは、問答無用で立ち退きを迫られたのだそうだ。しかし、一軒だけ立ち退かなかった。そうしたら、その家は、両脇に道路がつくられ、川の中の中州に建っている如く、孤立してしまった。横断歩道もつけられず、昼夜を問わず走る車の間を縫って出入りしなければならなくなり、結局、しばらくのち、この家の人も立ち退いた、という。
…って、これって、なんかそれ系の人の地上げ? 嫌がらせ? と同じじゃないの。
こんなひどいことがあったなんて、私は全然知らなかった。
となると、おそらく、似たようなことがあちこちであったのではないかと想像できる。
さらに内山氏は、オリンピックはそもそも発祥の段階から純粋なスポーツの祭典ではなかったことや、今やそれがさらに加速し、政治や経済に利用するためのイベントになってしまっている点を挙げ、廃止を議論すべき時期に来ていると主張している。
私も、コロナ云々と言う前から、オリンピックに、もっと言えばスポーツ自体に、さらに極端に言えば、シルク・ドゥ・ソレイユのようなタイプのエンターテインメントに違和感を持っていた。
身近なところで言えば、高校野球とか部活動とか。高得点をあげることや勝つことばかりに主眼が置かれ、学校教育の域を越えてしまっている側面があるように思えるから。
人間の持つ身体的、精神的能力を超えたところまで突き詰めすぎているのではないか、と思うから。
その結果、選手や出演者が壊れてしまうのではないか、と思うから。
血のにじむような努力で、限界を少しずつ少しずつ超えていくのは確かに素晴らしいと思うし決して否定はしないけれど、限界越えへの執念が行き過ぎると、その先は破綻でしかないような気がするから。
とても人間技とは思えない演技や試合を見ると、私はむしろ胸が痛くなる。
当事者のみなさんひとりひとりにいろんな思いがあるから、大きなお世話、なんだけど。
ウイルスが 思わぬ課題 暴露する
鞠子