「パブリックビューイングなどがあれば人流増が懸念される。感染リスクの増大をしっかり考えていただきたい」

「今の状況で(大会)をやるのは、普通はない」

「何のために開催するのか明確なストーリーとリスクの最小化をパッケージで話さないと、一般の人は協力しようと思わない」

「スタジアムのなかだけを考えてもしっかりとした感染対策はできない」

「ジャーナリストやスポンサーが(規則集)を順守してくれるか、選手より懸念があるのは専門家の一致した意見だ」

「(大会を)やるならどういうリスクがあるのか申し上げるのが我々の仕事」

 

ここ数日、尾身先生の発言が過激化してきた。

私、瞬間、泣けてしまった。

尾身先生、こんなにストレートに言ってしまって大丈夫だろうか。帰り道、襲われたりしないだろうか。抹殺されて「尾身茂氏、過労により急逝」などという見出しが新聞に出ることになりゃしないかと、真剣に考えてしまった。

ただでさえ、今回の緊急事態宣下発出に際し、尾身先生は恨まれているだろう。そうでなくても「尾身さんを黙らせろ」とか「尾身さんと菅首相が並んで会見すると、どちらが首相かわからないからやめさせろ」なる声が出ているという話も耳にしている。

私たちの知らないところで何が起こるのか、もはやなんでもアリな気がしてきた。

 

この前、りんたろーさんとの対談をテレビで観て以来、人間的に尾身先生が好きになった。

だからといってコロナ対策の良し・悪しと短絡的に結びつけるべきではないけど。

 

東京オリパラがきっかけで感染が拡大し、新種株なんかも登場する「最悪な事態」となった場合、責められないよう先手を打って強い発言をしている、いわば「アリバイ作り」「責任逃れ」という尾身先生批判の意見も聞き、逆に安堵した自分も笑える。

だって、なんとなく、「それなら抹殺はされない」気がするから。

 

 

 

 

安全はやるよりやらない自明の理

鞠子

 

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