しつこいようだが、秦基博さんの『泣き笑いのエピソード』には、まだ突っ込みたいところがある。

 

ゆきさんのコメ「笑顔をあきらまたくないよ」の一節。

「ま」か「め」かも大きな問題だけど、それ以前に、「笑顔をあきらめたくない」 ―― これ、文章としてヘンじゃない? よくよく考えてみると、意味が通らない。

 

笑顔をあきらめるってどういうこと?

笑うことをあきらめるってことか? いや、あくまでも顔だ。顔が笑っていることが大前提。それをあきらめたくない、ということだ。ならばその笑顔は自分のか? 他の人のか?

 

···考えれば考えるほど、意味がわからなくなる。ただ、「ニュアンス的にはわかっている」。

 

秦さんを責めるわけではない。こういう「ニュアンス的にのみわかる」という文言やキャッチフレーズは、とかくあちこちにあふれている。

 

特に、政治がらみのポスター。

最近、やたら気になる。

 

「希望の未来を切り開く」

は?  希望の未来? これも変だと思う。意味不明。たぶん「希望に満ちあふれた未来」みたいなニュアンスだろうと思うけど。

 

「闘う!枝野」

たぶん、「国民の幸せのために闘う」ってなニュアンスかな。でも、なんか短絡的。エダノ氏を知らなければ、格闘家だと勘違いしそう。

 

「国民のために働く」「あなたのための政治」「身を切る改革、実行中」「日本はもっと強くなることができる」「新しい夢を、あなたに」etc.etc. ニュアンスはわかる。とてもわかる。でも、意味はよくわからない。

 

も一つおまけ。スパゲッティ屋さんにかかっていた垂れ幕「青春の味・鉄板イタリアン」

「ほら、学生時代、恋人と喫茶店で一緒に食べた板スパよ」とアラフィフに訴える文言。このセピア色のニュアンス、断定的な物言いがたまらない。

 

···と、さんざ、非難してみたが、やっぱりわからない私の方がおバカなのかもしれない、という気もしないでもない。

だって、当ブログ「続・続・聞きとれやせん」と銘打ったくせに、「聞きとれやせん」ことを何一つ記してない。それこそ「ニュアンス的にのみしかわからない」表題。

 

···すみません。

 

 

 

 

 

 

感覚が時にうるさく鼻につく

鞠子

 

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