今期の文学講座は志賀直哉。

昨日は、『佐々木の場合』を読んだ。

 

山田家の書生をしている「僕」(←つまり佐々木)は、子守りとして雇われている「富」と恋仲にある。

「僕」は19歳、「富」は16歳くらいという設定。しかし、若者同士の初々しい恋愛、という感じはしない。「僕」がどうも「カラダ目的」な感じがする。かなり上から目線で富に物を言う。「少尉か中尉になれば必ず正式に結婚する」と何度も言った、と言うが、なんともその場限りっぽい。

 

富は、悪いことをしているという罪の意識が消えない。

幸せを簡単に信じてはいけない。信じて傷つきたくない。

当たり前だ。

身分も立場も違う。

きっと貧しい家で育った娘のはず。

 

男が浅はかなのだ。

おまけに、この「僕」、富がお守りをしているお嬢さんの顔も性質も大嫌い、ときた。子どものくせに、「僕」と富との関係を知っているらしいとふんで、ますます嫌う。

 

全く、男というものは短絡的で、単純で、自分勝手······と、腹を立てられるんなら、何て楽だろう、と思う。

 

「僕」と富の恋愛は、大事件を引き起こす。

物置小屋でこっそり逢っているとき、お嬢さんがたき火で大火傷を負ってしまうのだ。

皮膚移植ならぬ人肉移植しなければならない。富は必死で自分から肉を取ってくれと懇願する。「僕」はそれを聞き、自分が肉を提供せずに済んだとほっとする。でもいたたまれず、国に逃げ帰る。そうして富との恋愛は、終わる。

 

全く、ほんとになんてひどい男······と断罪できれば楽なのだ。でもできない。私のなかには、どこかに「佐々木と同じもの」があるから。佐々木の気持ちが手に取るようにわかるから。

 

16年後、2人は銀座で偶然再会する。

「僕」は大尉になっていた。富は、ずっとお嬢さんに支えていた。

会って話したい。今度こそ、富を不幸から救ってやりたい。幸せにしてやりたい。

「僕」は、富のことを忘れられず、ずっと独身を通していた。

 

だがしかし、佐々木にとって、もう全てが手遅れだった。

 

富は、一生、お嬢さんに支えることが「罪の意識」ではなく、「幸福」に変わっていた。

お嬢さんの両親も、一時は恨んだであろう富の献身的な姿に心を許している。

「僕」だけが、置いてきぼりになってしまったのだ。

 

だから男はバカなのよ ―― で、やっぱりすませられない。

佐々木と富。かけ違ったボタンがあまりにも悲しい。

 

「男」も富もお嬢さんもその両親も、ありふれたごく普通の人なのだ。

だからなお、悲しい。

 

悲しいけど、でもすがすがしい。

 

 

 

 

 

 

一生分悲しみ背負って逃げる人

鞠子

 

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