激暑なのに、コロナ禍なのに、結構元気なのが信じられない。

ブログを見返してみると、ここ2、3年、今時期はものすごくしんどかった旨の記ばかりなのだ。それに比べて、なんとも元気。腰痛もほとんど気にならない。

 

なぜだろう…

 

理由の一つは「BACHをピアノで練習していることだ」と確信している。

 

歌は、小学生のとき声帯を傷めたせいで、問題外…だったのだが、ものすごくいい先生に出会ったおかげで、信じられないほど回復。

ピアノに至っては、幼いころ、数年、それもお遊び程度で習っただけで、弾けるうちに入らない。以後、歌うための音取り程度にしか弾いていない。

だが、コロナのおかげ(?)で、改めてピアノに向かう気になった。

 

せっせと練習しているのは『J.S.BACH:アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集』。

「初心者のために選ばれた24曲」となっているが、私には当然、相当な難物。だけど、たどたどしくても、「そう、これよ、これ。これがBACHならではの音の重なり・リズム!」とめちゃめちゃ感動してしまうのである。そうして悪戦苦闘しながら感動しているうちに、暑さも時の経つのも忘れてしまう。

 

以下、ドシロートによる。全く勝手な思いなんだけど…

 

BACHを完璧に歌う・弾く・演奏する、ということは、ない(できない)。

あのチェリスト・鈴木秀美さんですら、「演奏会でBACHを弾くたびに、しまった、と思うところがあり、だからまた、BACHを弾くんです」と言われたその気持ち、私なりにすごくよくわかる。

だけどBACHは、鈴木さんのようなプロだけでなく、私のようなドシロートでも、それ相応のレベルの技術で楽しむことを、決して拒否らない、と思えるのだ。そういう懐の深い音楽なのだと私は実感している。

 

いつぞや洋物の映画で、幼児がマタイ受難曲の終曲を鼻歌みたく歌うシーンを見た。

めちゃ感動した。子どもが歌ったら子どもが歌うBACHとして、十分成立する。人の心を打つ。決してうまくはないんだけど、それを聞いたとき、微笑むBACHが透けて見えるようだった。

 

私の『アンナ・マグダレーナ…』も、一応19曲まできた。

どの曲も、甲乙つけがたいほどムズイけど、甲乙つけがたいほど好き。

そして心身ともに、救われている。