エドワード・ジョージ・サイデンステッカー氏。
この人がいたからこそ日本文学は世界に広まった。
浅薄な知識しかないので、そう言いきっていいのかどうかわからないが、少なくとも谷崎潤一郎や三島由紀夫の作品、あるいは『源氏物語』を英訳し、世界に知らしめたのは確か。川端康成がノーベル文学賞を受賞したのも、この方が『雪国』などを英訳したからだ。

このサイデンステッカー氏が、志賀直哉の作品を批判していた、ということを初めて知った。志賀作品は、「人間の行為の描写が周囲の景色描写に自然に移って行く。それは『小説』ではない」からだそうだ。(←共同通信編集委員、小山鉄郎氏『文学流星群』より)

志賀直哉は「小説の神様」と言われているが、神様であろうとなかろうと、私的には好き。『暗夜行路』も『城の崎にて』も心打たれた。
だが、おそらく日本人以上に日本を愛していると思われるサイデンステッカー氏は批判的。
こういう事態に遭遇すると、「文学って本当にいいなあ」と思うのだ。
だって、知識も能力も雲泥の差のあるサイデンステッカー氏に、こうして堂々と反旗を翻せるんだもん。
 
東野圭吾・小川糸・辻仁成・百田尚樹 … ざっとふりかえってみてこの方たちの作品、私は全然魅力を感じなかった。
でも、人気あるんだよね。
そうそう、だからいいのよ。
好き嫌いを主張しても問題なし。
何年か経って、好きが嫌いに・嫌いが好きに変わっても、全然OK。

ところで小山氏、この『文学流星群』で取り上げたのは国文学者・小西甚一氏。
小西氏曰く「サイデンステッカーの批判にただ怒るだけではだめで、彼が言う『小説』とは違う世界が日本にあることを、彼と同じ言葉で示さなければ国際的な議論はできない」

うんうん、そうそう。
こちらもどれだけ言葉を尽くせるか。
その上で議論ができれば、たとえば血なまぐさい戦争など起きないはずだと思う。
それには、文学って恰好の議論訓練素材だと思う。
だが悲しいことに、教育の場から小説はどんどん消えていく……