声楽レッスン再開。
今回の曲は、カンタータ22番のアリア。
とにかくとにかく、哀切で美しいメロディ。もちろん、大変難しい。

完全に曲負け状態を承知で、ひとまず通して歌ったら、先生に歌詞の意味を問われた。
調べた歌詞、棒読み。

「だよね。決して悲しくはないんだよ。Wohl mir(この身に幸あり)と4回も繰り返してる」

…そうだぁ。
私はキリスト教がわかるわけではないが、受難に寄り添えることを幸ととらえる喜びは理解できる。
なのにこの哀切なメロディ。
これは、喜びと哀しみと覚悟が入り交じった静かな幸を歌っているんだ…
「Wohl mir」に至っては、単に4回繰り返すだけでなく、歌が問い、言い聞かせ、都度伴奏が復唱するという形になっている。

「…というふうには聞こえないよ」

先生、要求が高度すぎる(--;)

「楽器は何?」
「オーボエです」
「今の音じゃあオーボエじゃない。オーボエみたいに弾いて」

オーボエみたいに弾く?(@ ̄□ ̄@;)!!
伴奏Aちゃんにも、そんな恐ろしい要求を(--;)
確かにこの曲も、歌&オーボエ、W主役。
だからピアノは単なる「伴奏」では済まないのである。

しかし、さすがAちゃん。
先生のご指摘後、音がオーボエみたいになるんだもん。
驚いた…そう言ったら、Aちゃん、曰く。
「それはね、鞠ちゃんが『オーボエだ』という思いで聴いているからだよ」
…う―ん、これも深い。

「それに、先生が隣で踊ってくれると、なんか弾けてくる」
…わかる、わかる、それ。
レッスン中、先生に音楽の神が降りてきて、だんだん指導が熱くなり、周囲の空気が変わる。
トランス状態。
ふと我に返り、先生とぴったりくっついて歌っていることに気づいてびっくりすることもたびたびある。

ともあれ、カンタータが好き、という理由だけで、ずっとカンタータにチャレンジしているが、何をどうしたらいいのか、レッスンのたび、茶ノ木畑に入り込んだ気分になり、あとでどっと落ち込む。

…歌は難しい。
もちろん、ピアノも難しい。




〈カンタータ22番〉Jesus nahm zu sich die Zwölfe  イエスは御許に十二弟子を招き寄せ

Mein Jesu, ziehe mich nach dir
わがイエスよ、引き寄せませ御身へと

Ich bin bereit, ich will von hier
心の準備は出来ています、私はここを去り

Und nach Jerusalem zu deinen Leiden gehn
エルサレムへ、御受難のもとへ参ります。

Wohl mir,wenn ich die Wichtigkeit
この身に幸あり! もしその意義、

Von dieser Leid- und Sterbenszeit
この受難と死のときの意義を

Zu meinem Troste kann durchgehends wohl verstehn.
わが慰めとしてもれなく、よく悟るなら