久々に歌舞伎座へ。
台風17号が心配だったが、なんとなく間隙をぬえた。
朝6時に家を出て、最終10時の新幹線で帰る弾丸日帰りツアー。
それよりなにより、体調不良で数日休んでいた吉右衛門さまが大変心配だったのだが。
決してお若くない。
そしてものすごくハード。
少し休んだだけで復帰されて、大変嬉しいものの、反面心配。どうかいつまでも、素晴らしい演技を見せてほしい、と思うので。
…ということで、昼の部・夜の部、共に観たのだが、夜の部の『寺子屋』について。
これ、私の好きな演目。今までに何回も観た。
「主君の子どもを守るため、我が子を身代わりに差し出す」ことが、中心テーマになっている。
我が子は身代わりに首を討たれる。
子どもも身代わりになることを誇りに思い、笑って首を差し出すのである。
親も泣く。討った者も泣く。主君の子どもも泣く。その母も泣く。そして、観客(←私も含めて)も泣く。
でも冷静に考えたら、あり得んでしょう。
いくら忠誠を誓った相手とはいえ、我が子の命を捧げるなんて。
そんな人、いたら、怖すぎるでしょう。
もっと言ったら究極の児童虐待じゃないの。
それなのに、皆、感動する。
悲劇の美談として、胸を打たれる。
矛盾している。
結局、
多くの人が、何かのために自己(あるいは自分の一番大切にしているもの)を犠牲にすることに、美を感じる、ということだ。
昔も今も。
これからずっと先もそうだろうか。
そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。いいか悪いかわからないけど。
今日は『寺子屋』を観つつ、そんなことを考えた。