8月、合唱団練習は夏休み。
声楽レッスンも夏休み。
だが、9月から、団は演奏会(←曲は、BACHの『ミサ曲ロ短調』に決まった)に向けての練習が始まる。
で、声楽レッスンなのだが…
方針が変わった。「自分で選曲していく」スタイルに戻ったのデアル。

4月から、初挑戦のコンコーネやイタリア歌曲で四苦八苦していたので、カンタータに戻れて大喜び…のはずだが、単純にそう思えなくなった。
コンコーネ50曲のうち、まだ25番までしかやっていない、という心残り。
先生から指定されたイタリア歌曲をまだ歌っていない、という未消化感。

それよりなにより、BACHを歌うのが怖くなったのだ。
今までなんて怖いもの知らずだったんだろう。
ぬけぬけと、よく演奏会(←ま、発表会だが)で、カンタータを歌ったな、と今更ながら冷や汗が出るくらい。

ならば、引き続きコンコーネとイタリア歌曲で…という選択をすればいいのだが、やっぱりカンタータが好き。
怖いけど、好きな気持ちは変えられない。

伴奏をしてくれているAちゃんも、「BACHは難しいけどやりがいがあるし、弾いていて楽しい」と言ってくれる。
私自身、彼女を「伴奏者」というよりむしろ「共演者」「助言者」、あるいは「演奏中の対話者」だと思っているので、できれば彼女が弾きたい・弾いてみたいという曲を、一緒にやっていきたい。

「バッハでは反応の即時性と事物の微妙な決定をコントロールする能力が絶対に必要なのだ」

「バッハのあの同じリズムのパターンを数えきれないほどくり返しながら流れる音楽には、大地の呼吸、自然の息遣い、遠い昔から今に至るまでとぎれることなく続いてきた交代と持続のリズムが反映されているのだが、バッハは、それを無作為の自然の形で投げ出さず、人間化、精神化して、整然たる秩序の下に、聴き手に差し出す。普通私たちの聴くバッハでは、それが音の正面をつくっている」
                       (吉田秀和『バッハ』より)

――怖いけど、力不足なのは重々承知だけど、やっぱり私、再びカンタータに挑戦する。

「それにしてもバッハ、バッハ。どんな音楽にも多かれ少なかれ、当てはまることとはいえ、特にバッハの音楽ほど、絶えず新しいものになって鳴り響く可能性をもってほぼ三世紀を生き続けてきた音楽はほかにない」            
                      (こちらも『バッハ』より)

――なにより、そんなすばらしい音楽に挑戦させてもらえることに、心から感謝。