「正しいが意味がわからないこと」と「間違っているが意味はわかること」
 
不特定多数の人に見られることを前提としたもので、今日は偶然、この2種に出会った。
思えば、当たり前のことなんだけど。
それに、比較するにはあまりにも内容の重さが違うんだけど。
 

〈正しいが意味がわからないこと〉
 
中学生の息子を刺し殺した父親の裁判に関するニュースを観た。
 
「息子は、中学受験をしたいと言った」
「これまでも、勉強させようと、暴力をふるったことがある。刃物をつきつけたこともある」
「事件のあった日も、勉強をさせたくて刃物をつきつけた」
「殺意はなかった」
 
これら一つ一つ、文章としては正しい。
だが、意味が全くわからない。
中学受験をしたいといったのは息子本人なのに、じゃあなぜ勉強しないのか。
身体的に痛めつけたら勉強し、力がつくのか。
相手を傷つけるつもりはないし、もちろん殺意などない。ならば、普通、刃物を出すか? 出しただけでなく、突きつけることまでしておいて、傷意もなければ殺意もなかった、なんて。
 
50歳過ぎたいい大人の父親。文章は正しいが、意味は全くわからない。
 
 

〈間違っているが意味はわかること〉
 
ヘアケア製品を扱う某メーカーから、新しいシリーズの製品が発売された。
だがそのCM…
 
『○×史上最高のダメージヘア ―― ○×シリーズ』
 
瞬間、この○×シリーズを使うと、「これまで経験したことのないようなパサパサ・ゴワゴワヘアになるのか!」と思ってしまった。
もちろん、これは「とっても傷んでしまった髪の人向けなのだ」とすぐ思い直したが。
 
…もう一度、画面を凝視した。
 
豊富な人生経験を積んだ私(?)だからこそ意味を察知したが、豊富な人生経験を積んでない人、あるいは日本語いま一つの外国人さんが誤った解釈をする可能性は大アリだと思った。
え? そんな可能性、ないって? だって現に、私は誤解したんだもの。
 
このCM、不親切。
せめて、『ひどいダメージヘアの方へ ―― ○×シリーズ』とかなんとかしてほしかった。
 
ちなみに某社のHPは、これとは全く違うキャッチコピーだったので問題ありません。(←と、調べた私、ヒマな人)