悪いことをすると地獄に落ちる――これはブッダの教えなのだそうだ。
悪いことをすると、たとえ今の人生では現れなくても、何度も何度も生き死にを繰り返す輪廻の中で、いつか必ず戻ってくる。しかもそれは、どのような形で戻ってくるのか、当人にはまったく予測できない――仏教哲学を専門とする佐々木閑先生が、このように説明している。
私はブッダについて何にも知らないのだが、この佐々木先生の文を見て、非常に俗なことを考えた。
「何度も生き死にを繰り返す」のなら…
例えば、
私は歌舞伎を観、コンサートに行くのに大枚をはたいている。
音楽を専門に勉強したわけでもないのにBACHを歌うことに血道をあげたり、睡眠時間を削って創作活動をしたりしている。
これら、私にとって何かプラスになっているか?
お金を生むわけでなし、それで身を立てるわけでなし。一見、何のプラスにもなっていない。
だが、「死んだらまた生まれてくる」と考えたらどうか。
次に生まれてきた『私』は、それなりに頑張った分、音楽や文学の素養を身につけているはずではないか。
当然、『今の私』が生まれる前、『別の私』がいたはずだし、その前にも『別の私』がいたことになる。
彼女らが、何かを頑張ってきた結果が『今の私』ということではないか。
そう考えると、我が両親は音楽にも文学にも全く疎遠の人生だったのに娘がこうなった理由が納得できる。
今、私が悪いことをしたら地獄に落ちる。
落ちるのは「今の私」か「次の私」かわからないが。
でも逆に、それなら今、私が善行をし、何かしら勉強をすれば、「今の私」か「次の私」か、あるいは「もっと先の私」かにプラスに作用することになる。
『今の私』は、『以前の私』が頑張ってくれたおかげでこうなっている。
…しかし残念ながら、『以前の私』も『次以降の私』も会うことができず、確認のしようがない…
鼻歌を歌いて大地に鍬下ろす
鞠子
悪いことをすると、たとえ今の人生では現れなくても、何度も何度も生き死にを繰り返す輪廻の中で、いつか必ず戻ってくる。しかもそれは、どのような形で戻ってくるのか、当人にはまったく予測できない――仏教哲学を専門とする佐々木閑先生が、このように説明している。
私はブッダについて何にも知らないのだが、この佐々木先生の文を見て、非常に俗なことを考えた。
「何度も生き死にを繰り返す」のなら…
例えば、
私は歌舞伎を観、コンサートに行くのに大枚をはたいている。
音楽を専門に勉強したわけでもないのにBACHを歌うことに血道をあげたり、睡眠時間を削って創作活動をしたりしている。
これら、私にとって何かプラスになっているか?
お金を生むわけでなし、それで身を立てるわけでなし。一見、何のプラスにもなっていない。
だが、「死んだらまた生まれてくる」と考えたらどうか。
次に生まれてきた『私』は、それなりに頑張った分、音楽や文学の素養を身につけているはずではないか。
当然、『今の私』が生まれる前、『別の私』がいたはずだし、その前にも『別の私』がいたことになる。
彼女らが、何かを頑張ってきた結果が『今の私』ということではないか。
そう考えると、我が両親は音楽にも文学にも全く疎遠の人生だったのに娘がこうなった理由が納得できる。
今、私が悪いことをしたら地獄に落ちる。
落ちるのは「今の私」か「次の私」かわからないが。
でも逆に、それなら今、私が善行をし、何かしら勉強をすれば、「今の私」か「次の私」か、あるいは「もっと先の私」かにプラスに作用することになる。
『今の私』は、『以前の私』が頑張ってくれたおかげでこうなっている。
…しかし残念ながら、『以前の私』も『次以降の私』も会うことができず、確認のしようがない…
鼻歌を歌いて大地に鍬下ろす
鞠子