通っているステップ台エクササイズのインストラクターが、いつも言う。
「今日の体調と昨日の体調は違いますからね。つらいときは、台に上がらずその場で歩いてくださいね」
これ、このごろ特に実感する。
昨日はいていた靴を、今日、はいたら靴擦れしたり。
この前、食べたときはすごくおいしかったテイクアウトのモダン焼が、今日は全然だったり。
25メートル泳ぐためにキックする回数も、歌の練習のときに出す声質や声の高さも、まさに「今日と昨日は同じじゃない」。
これらは喜ぶべきか悲しむべきかわからぬが、驚嘆するよな場合もある。
一昨日、観た歌舞伎の演目のひとつ『俊寛』。
なんといっても圧巻は、一人、島に残される俊寛が遠ざかっていく船を見送る無言の愁嘆場。
私は推し役者・中村吉右衛門さまが俊寛を演ずる舞台を、これまでに3回観た。
この3回、吉さまの愁嘆は、表現が全然違うのだ。
最初に観たときは、「全身が悲しみに満ち満ちていた」。
2回目は、「諦念」が感じられた。
そして一昨日は、悲しみの中にちらりと「誇り」が見えたのである。
俊寛は、自分の代わりに、成経(←この人は、赦免され都に帰る)の新妻・千鳥(←島の海女だった)を船に乗せる。
そうして、若い二人の恋を成就させた「誇り」が一瞬、かいま見えた。
…すごい!もう、唖然とするほどすごかった。
人間国宝のお方でさえ、今日は昨日と違うのだ。
自身の年齢も違えばお客さんも違う。
同じことを漫然とやっていても進歩はない。
そう考えたら、決して今を無駄にはできぬな…とつくづく思う。
いつの日か檸檬が甘く変わる日が
鞠子