[心に響いた言葉]

ここ2、3日の間に出会った珠玉の言葉の数々。

○「こんな手紙を貰ったら、走りまわって金をかき集め、電車に乗って千葉県の彼の家まで届けに行ってしまうだろう。なんてやつだ太宰!!」(マンガ家 山本おさむ氏)

河出文庫『太宰治の手紙』の帯にあった言葉。
山本氏の気持ち、すごくよくわかる。
太宰の『地図―初期作品集』を読んだとき、「こんなものを書く同級生がいたら、これだけで絶対好きになっちゃう!」と私も真剣に思ったもの。
ちなみに「なんてやつだ太宰!!」のあとに小さな字で「みんな、この本を読んではいけない」とある。
即買したのは言うまでもない。


○「バッハの楽譜に間違いはない。うまくいかないとすれば、それはすべて演奏者が悪いのだ」(古楽器奏者 ジキスヴァルト・クイケン氏)

楽器屋さんで分厚い大判の雑誌を立ち読みしていたときに見つけた。
売り物なので、メモするわけにもいかず言葉自体はうろ覚えなのだが、これもいたく共感した。
バッハの楽譜は、緻密に描かれた図面みたい。決して齟齬はない。ここでこの楽器がこの音を、そのときこの楽器はこの音を、さらに歌はこの音を…この組み合わせの妙は、まさに神業。音楽がわからない人からも、理屈抜きに感動を引き出す。
何年か前、クイケン&ラ・プティット・バンドの演奏会でバッハを聴いた。
もう、大号泣だった。
ぜひ、また聴きに行きたい。


○「バッハがあれば生きていける」(古典音楽評論家 加藤浩子氏)

震災のあった年の暮れ、オランダ・バッハ教会の『ロ短調ミサ曲』を聴いてそう思ったのだそうだ。
わかる、これもすごくわかる。
私など、もっと卑近。
ばかばかしい会議残業の帰りなど、車でカンタータを聴くとようやく自分を取り戻せた気になる。
朝、出勤途中にも、流れるカンタータにしょっちゅう思う。「バッハがあれば、生きていける」と。
オランダ・バッハ教会の演奏は、私も聴いた。『ヨハネ受難曲』だった。
少人数で歌うヨハネで、その良さが倍堪能できた。
エヴァンゲリスト(←少々年配)が、最後の方、疲れがたまってきたのか姿勢が苦しげに崩れだしたが、声は全く変わらなかった。
そもそもこの曲を少人数で歌えることが、驚異的なのだ。
震災という大変なことがあった後、加藤さんの思いはなおのこと強かったに違いない。
 

○「特別に醜くて、性悪で、不潔な奴が一ついる!
こ奴、大してあばれもしない、大きな叫びも立てないが、
そのくせ平気で地球をほろぼし、
欠伸しながら世界を鵜呑みにするくらい平気の平左。」(ボードレール『悪の華』堀口大学訳)
 
あ?  誰だ、その性悪で不潔な奴は?
その答はすぐ続きにあった。
 
「こ奴、名は『倦怠』〈アンニュイ〉!」
 
…やられたっ! と思った。