お昼、テレビで大阪の「寄席」がレポートされていた。
その控室、大きな鏡がいくつかあり、その日、高座に上がる芸人さんたちの名前が1枚ずつ貼ってある。
若い芸人さん、曰く。
「あちらの鏡を使うのんが、えらいさんです。そこからこちらへ順番になっとりまして、若手は一番端です」
 
序列があるのだ。この世界では、それが当たり前、なのだ。
 
いつぞやも、公立の小学校・中学校の先生をしている音楽トモたちと話しているとき、彼女らがあたりまえに「序列」を語るので、すごく気になった。
 
彼女らは、周期的に異動がある。
入ってくる先生、出ていく先生、その人たちのために、歓送迎会が行われる。
その際の席順は「序列」で決まっており、間違えようものならえらいことになるらしい。
お酌にまわる順も、「序列」で決まっている。
 
思えば世の中、「序列」はむしろ、当たり前のことなのか。
 
私の仕事は、基本的に「序列」という感覚がまるでない。
それどころか、「全員同列」を推奨しているくらいだ。
飲み会であろうと、研修会であろうと、「序列」は考慮の対象から完全に外されてしまっている。
もちろんなかには、よくわかってない人もいて「配慮がなさすぎる」「失礼が過ぎる」とトラブルになることもあるが、逆にこういう人は、うとまれる風潮がある。
 
…こちらの常識は、あちらの非常識。

どちらが正しいと決められることではないが、「違う常識を持つ世界があるのだ」ということを知らないとヒドイ目に遭うかもしれぬな、などと、芸人さんの粋な和服姿を見ながら思ったのである。
 
 
 

 
左側寄りそう彼に胸躍る
鞠子