今朝、出がけにちょっと要領の悪いことをしてしまい、家を出るのが遅れてしまった。
 
そんなときに限って、さらに予想外のことが重なるものだ。
一つめの曲がり角、減速したところで、ご近所のTさんに車を止められてしまった。
「鞠ちゃんに話したいことがあるんだけど、なかなかつかまらないから…」
 
それが朝から、よろしくない話のオンパレード。
ご近所のあのご主人、むこうの奥さんetc. 「亡くなった」とか「入院している」とか「もう危ないらしい」とか、そんな話ばかりだったのだ。
・・・暗澹たる気分になった。
 
小学4年生で越してきたころ、ここは新興住宅地で、一戸建てを建てた若いご夫婦・家族ばかりだった。
幼稚園児や小学生や、子どももたくさんいた。
それが今や、子らは巣立ち、残るは年寄りばかり。完全に「高齢者住宅地」になってしまっている。
今日、聞いたご主人も奥さんも、当時は、最も輝ける年代のアクティブな人たちだったのだ。
 
Tさんは専業主婦なので、基本、家にいる。また、とても面倒見の良い人だ。
そのため高齢者住宅地における慶弔事が、すべて押しつけられる。
そんなうっぷんを、誰かに話したくて仕方がなかったらしいのだ。
 
ここのところ、人生の無常さや時の流れのはやさを感じることばかりがおこる。
時間は誰にも平等だ、とはわかっていても。
秋の気配と相まって、ひしひしと哀しさを感じてしまう。
 
 

 
 
1分が1秒が身を切り刻む
鞠子