ナミダのクッキングNo.2397 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

先だって受けた検査の結果を聞きに、病院へ。
 
待合室で、たまたま私の隣に座っていた中国人の若い男女が、看護師から検査の説明を受けていた。
夫婦か恋人か、あるいは兄妹か。
どうやら彼女の方は、日本語がまったくわからないらしく、彼が通訳をしている。
 
看護師は、耳の遠い老人に聞かせるよう、「アレルギーはないか」だの「ペースメーカーは入れてないか」だの、一語一語、ゆっくりと噛んで含めるかの如く、大きな声で話している。
そして一通り説明が終わった後、「何か質問はありませんか」と問うた。
そうしたら彼が、一段、声を落として「お金はいくらかかるのでしょうか」と。
 
看護師は、パソコンを繰ったあと、「3割負担だと13,000円かかります」と答えた。
 
さてそれからが大変。
彼は、お金が工面できない、と言うのである。
「せめて検査を来月に延期してほしい」「それだと結果が出るのが遅くなる」 … 2人と看護師のやり取りは、彼女の中国語も交えて延々と続いていた。
 
隣で聞いていて、つらくなった。
 
その検査、実は私もしたことがある。
その検査をしろ、ということは、あの病気の疑いがある、ということだ。
言葉の通じない異国の地でそんな疑いを指摘されたら。また、検査費用や治療費やら、十分な持ち合わせがないとしたら。
いったいどんなに心細いことだろうか。
 
結局、双方が折り合える検査日が1日、候補に挙げられたが、その日は通訳係の彼は都合が悪いらしい。
看護師は、「なんとか自力で病院まで来てくれたら、通訳を入口で待機させる」と言っていた。
公立病院でそこまでするのかと驚いたが、せめてもの救いだと思った。
同時に、そこまでしなくてはならぬほど、彼女の状態は限りなくクロなのだと痛ましく感じた。
 
急患が入ったのか、何かトラブルがあったのか、今日の診察は大幅に遅れてスタートし、私は2時間強待たされた挙句、3分で無罪放免。
若い2人があんまり切なくて、待たされた怒りなど完全に帳消しになっていた。
 
 
 
 
 
国籍も貧富も問わぬ病む痛み
鞠子