昨日、大阪での演奏会に行った話。
あらかじめ、ネットで会場を検索し、付近の地図を打ちだして持っていた。
だがしかし、大阪駅で降りた後、実は「方角がわからない」。
地図を見ると駅の西方であり、「徒歩15分」となっている。
知らない土地の「徒歩15分」は危険だ。
だからすごく早い時間につく電車で行ったのに。
「たぶんこちら」と見当をつけて歩きだしたが、すぐ後悔した。
わからない。
持ってる地図はあまりにラフ。
スマホの地図は、コンタクトレンズを入れているのでよく見えない。
結局、3人の人に聞いた。
1人目の人曰く「方向が逆ですよ。戻って右に回って地下道をくぐって、出たら直進して右に回って…」
・・・あきらめた。この人の案内を、覚えきれそうにない。
いちお、言われた方向に行ってみた。
しかし、「地下道」なるものが見つからない。
ようやく見つけたと思ったら、それは地下街の入口で、お店が右左。
・・・間違えたらしい。
仕方ないので、出たところで、交通警備をしている男の人に聞いた。
「それはですね、結構、遠いですよ。タクシーに乗った方がいいですよ。もう少し行くと、タクシー、停まってますから」
・・・こんなことなら、駅からタクシーに乗ればよかった、と悔やみつつ、停車しているタクシーに乗った。
そして会場名を告げたら、
「お客さん、ここから近いですけど、いいですか?」
と、なんとも商売気のない対応。しかし、時間も迫ってくるし、とにかく暑いし、背に腹はかえられず、「いいです。行ってください」。
・・・結局ね、タクシーに乗って正解だったんだよ。
だって、乗車したところから、かなり遠かったもん。
遠回りして運転手にだまされたわけでは決してない。
「これは歩かなくてよかった」と真剣に思った。
それくらい、方向音痴な私は駅から見当はずれな方角に歩いていたのである。
帰りも方角が全くわからない。
会場から出てきた大多数の人々が同じ方角に歩いていくので、きっと駅に向かうに違いないとついていったが、それは大阪駅ではなく福島駅だった。
で、また迷い、人に聞いた。大回りしてしまったらしい。大阪駅まで、ずいぶん遠かった。
それにしても大阪の人は、あのくらいの距離を「近い」と言うのだろうか。
どちらかと言えば、私もよく歩く人だが、都会の人はそんな程度じゃないのに違いない。
鉄道や地下鉄が整備されている都会ほど、普段、逆によく歩いているのかもしれないとつくづくに納得した。
ものさしは地域にもより人により
鞠子
あらかじめ、ネットで会場を検索し、付近の地図を打ちだして持っていた。
だがしかし、大阪駅で降りた後、実は「方角がわからない」。
地図を見ると駅の西方であり、「徒歩15分」となっている。
知らない土地の「徒歩15分」は危険だ。
だからすごく早い時間につく電車で行ったのに。
「たぶんこちら」と見当をつけて歩きだしたが、すぐ後悔した。
わからない。
持ってる地図はあまりにラフ。
スマホの地図は、コンタクトレンズを入れているのでよく見えない。
結局、3人の人に聞いた。
1人目の人曰く「方向が逆ですよ。戻って右に回って地下道をくぐって、出たら直進して右に回って…」
・・・あきらめた。この人の案内を、覚えきれそうにない。
いちお、言われた方向に行ってみた。
しかし、「地下道」なるものが見つからない。
ようやく見つけたと思ったら、それは地下街の入口で、お店が右左。
・・・間違えたらしい。
仕方ないので、出たところで、交通警備をしている男の人に聞いた。
「それはですね、結構、遠いですよ。タクシーに乗った方がいいですよ。もう少し行くと、タクシー、停まってますから」
・・・こんなことなら、駅からタクシーに乗ればよかった、と悔やみつつ、停車しているタクシーに乗った。
そして会場名を告げたら、
「お客さん、ここから近いですけど、いいですか?」
と、なんとも商売気のない対応。しかし、時間も迫ってくるし、とにかく暑いし、背に腹はかえられず、「いいです。行ってください」。
・・・結局ね、タクシーに乗って正解だったんだよ。
だって、乗車したところから、かなり遠かったもん。
遠回りして運転手にだまされたわけでは決してない。
「これは歩かなくてよかった」と真剣に思った。
それくらい、方向音痴な私は駅から見当はずれな方角に歩いていたのである。
帰りも方角が全くわからない。
会場から出てきた大多数の人々が同じ方角に歩いていくので、きっと駅に向かうに違いないとついていったが、それは大阪駅ではなく福島駅だった。
で、また迷い、人に聞いた。大回りしてしまったらしい。大阪駅まで、ずいぶん遠かった。
それにしても大阪の人は、あのくらいの距離を「近い」と言うのだろうか。
どちらかと言えば、私もよく歩く人だが、都会の人はそんな程度じゃないのに違いない。
鉄道や地下鉄が整備されている都会ほど、普段、逆によく歩いているのかもしれないとつくづくに納得した。
ものさしは地域にもより人により
鞠子