実は週末もう1本、映画を観た。
『ヒトラーへの285枚の葉書』。2016年、ドイツ・イギリス・フランス合作の作品。
ベルリンに暮らす労働者階級のクヴァンゲル夫妻は、息子が戦死したとの知らせを手にする。
悲しみと怒りにうちひしがれる夫婦。
どん底の二人は密かに、しかし毅然とヒトラーに反旗を翻す行動を始める。
現政権に対する批判を1枚ずつカードに書き、街中に置く。
読んだ人に、「このカードを回せ」と記す。
一度でも目撃されたら、即「死刑」という時代だ。
書かれた手紙、285枚。そのうち267枚が市民によって警察に持ち込まれ、回収されてしまう。
誰もが怖くてならない。書いてあることが正しいと思っても、そのカードを手にしているだけで「殺されてしまう」かもしれない。
夫妻の抵抗は、あまりにもささやかで、勝ち目がない。
映画で描かれていることは、実話が元になっている。
実際にあった話なのだ。そして、『共謀罪』もこれと同じなのではないか。日本も近い将来、これと同じようなことが…
二人を執拗に追うエッシャリヒ警部。
誤認逮捕に絡んで、彼も心に大きな傷を負う。
最終的に、夫妻は逮捕され、夫は斬首されるのだが、警部の心の傷も決して癒えることはない。
むしろ、267枚のカードすべてに目を通したのは、この警部だけだ。
今の世の中は間違っている。おかしい。警部も十分にそのことがわかっているがどうにもできない。
結局彼は、回収されたカードをすべて警察の窓からばら撒き、ピストルで自らのこめかみを撃つ。
カードを書いては置き、書いては置き、映画は粛々と進行する。
だからこそ、なおのこと、怖くあった。
「人間の尊厳」とは何なのか、改めて思う。しかし、クヴァンゲル夫妻やエッシャリヒ警部の死だけではない。代償はとてつもなく大きい。
「反対」と言えない時代が来ぬように
鞠子
『ヒトラーへの285枚の葉書』。2016年、ドイツ・イギリス・フランス合作の作品。
ベルリンに暮らす労働者階級のクヴァンゲル夫妻は、息子が戦死したとの知らせを手にする。
悲しみと怒りにうちひしがれる夫婦。
どん底の二人は密かに、しかし毅然とヒトラーに反旗を翻す行動を始める。
現政権に対する批判を1枚ずつカードに書き、街中に置く。
読んだ人に、「このカードを回せ」と記す。
一度でも目撃されたら、即「死刑」という時代だ。
書かれた手紙、285枚。そのうち267枚が市民によって警察に持ち込まれ、回収されてしまう。
誰もが怖くてならない。書いてあることが正しいと思っても、そのカードを手にしているだけで「殺されてしまう」かもしれない。
夫妻の抵抗は、あまりにもささやかで、勝ち目がない。
映画で描かれていることは、実話が元になっている。
実際にあった話なのだ。そして、『共謀罪』もこれと同じなのではないか。日本も近い将来、これと同じようなことが…
二人を執拗に追うエッシャリヒ警部。
誤認逮捕に絡んで、彼も心に大きな傷を負う。
最終的に、夫妻は逮捕され、夫は斬首されるのだが、警部の心の傷も決して癒えることはない。
むしろ、267枚のカードすべてに目を通したのは、この警部だけだ。
今の世の中は間違っている。おかしい。警部も十分にそのことがわかっているがどうにもできない。
結局彼は、回収されたカードをすべて警察の窓からばら撒き、ピストルで自らのこめかみを撃つ。
カードを書いては置き、書いては置き、映画は粛々と進行する。
だからこそ、なおのこと、怖くあった。
「人間の尊厳」とは何なのか、改めて思う。しかし、クヴァンゲル夫妻やエッシャリヒ警部の死だけではない。代償はとてつもなく大きい。
「反対」と言えない時代が来ぬように
鞠子