ラディゲの作品をはじめ、フランスの伝統的な心理小説は、
「作者が作中人物の心をはっきり分析して読者に見せる」。
一方、ドストエフスキーやフロイトは、
「人間の心の奥底には、自信を持って把握できたり、明晰に分析などできぬ混沌とした場所がある」という。

…と、遠藤周作『私の愛した小説』の中にあった。

そもそも、人の心は、分析しきれるものかどうか。
できないからこそ、ラディゲのような命がけの挑戦が生きるのだと、生意気なドシロートは思う。
もちろん、混沌を混沌のまま作中人物を描き作品を生み出す、というのも、実は大変苦しい挑戦にちがいない。

結局、どちらもすごい!

…などと文学講座の帰り道、考えつつ地下鉄に揺られ、K駅におりたら…

駅構内、入り口近く、まともに日が当たるところで、6~7人のオジサン・オバサンが「地ベタリアン」と化し、昼間っから、奇声まであげちゃって、酒盛りをしていた。

あまりの暑さと、世の中の不平等に、ほとんど開き直り状態、と、見てとった。

その後、JRに乗り、酒盛りのオジサン・オバサンの「心の混沌とした奥底」について考えていたら、途中駅で、スーツ姿の若いサラリーマンが乗り込んできて、私の隣に座った。
そして、おもむろにiPadを出し、イヤホンを装着し、なにやら画面を見ながら、大笑い。
周囲が何度も振り返るほど、場違いな大笑い。

…あきれるやら、私まで恥ずかしいやら…

結局、他人にどう思われようと、一人で大笑いする若者の「心の混沌とした奥底」まで考えさせられる羽目になった。

…有意義な、1日だった(--;)





砒素を盛る心は砒素より毒となる
ーー『テレーズ・デスケルウ』より
鞠子