ピアノって、不思議な楽器だと改めて思った。

子どもでも大人でも、誰でも音が出せる。
片手でメロディが奏でられる。
両手になれば、「1人オケ」も可能だ。
だが、
弾く人によって、「音が全く違う」んだから。

昨日、イェルク・デームスピアノリサイタルに行った。

先週行った、小山実稚恵さんのリサイタルと同じ会場。
同じピアノ(←たぶん)。
なのに、全く音が違って聴こえた。
もちろん曲目も違うし、調律も違うとは思うけど、こんなにも音が違うものなのか…

88歳のイェルク・デームス。
実は、ピアノに向かうまでの足取りにハラハラした。
それなのに、弾きだしたら、「別の人」になった。

いや、ピアノを「弾く」という主体的・意識的な感じじゃないのである。
ピアノと一体化しているから、ごく自然に「弾けてしまう」。
そこには欲も気負いも全くない、ただ「自然の成り行き」にすぎない…そんなふうに思えてしまった。

音は、熟成した古酒みたい。
響きが芳醇。
最初の曲はバッハだったのだが、重みがこんなに心地よいことに戸惑ってしまった。

デームス氏に聞いてみたい。
年をとり、誰もがさまざまに衰えていくなか、たとえばバッハの解釈、ピアノの表現、それらはどう変わっていくのか。
あるいは変わらないのか。

デームス氏、ここで息絶えても、やっぱりピアノは弾いたままなんじゃないだろうかと失礼な想像まで浮かんできた。




音と音もつれ重なり世界成す
鞠子