私の仕事のひとつに「テープ起こし」なる作業がある。
講演や報告を聞きながら文字にし、規定の字数に整文して読み物に仕上げるまでを行う。

講師・報告者は経営者の場合が多い。
つまり、「話のプロ」ではないから、起こすのに苦労するのは想定済。
それでも話し手が「準備せずに臨んだ」か、「真摯に向き合った」か、は、起こしだすとよくわかる。
特に、
何かで「時の人」になってて、あちこちに呼ばれている経営者は、悪慣れするのかずさんなことが多い。

今、とりかかっている講演がまさしくそう。
この方、老舗の跡継ぎで、地震の被害も乗り越え、地域の復興にも尽力し、その活躍がメディアに何度も取り上げられた。

会場で聴いているときには、何ら違和感は感じず、むしろ、熱く語る姿に大感動しただろうと思われる。(←私自身は、その場で聴いていないからわからないのだが)

だがしかし、話をそのまま文字にしても、「全く読める文章にはならない」。
語頭と語尾がほぼ100%不一致。
語尾が不明確なため、「です」なのか「でない」なのかわからない。
読点が延々続き、句点を打つことができない。
それよりなにより、大袈裟な形容詞を乱発し、強い語調と迫力で押すばかりで実はつじつまが合ってない。

いったい、話す内容を整理してきたのだろうか。
場数を踏んできたから、やっつけで何とかなるさと思ったのか。
あちこちから呼ばれる間に「ウケ」を狙うことが身についてしまい、ドラマチックに仕立てようとする策がちらちらする。

こうなると、厳しい体験だったはずの地震が逆にうそくさく見えてしまうのだ。

人に話して何かを伝えるということはどういうことか。
話し方のうまい・へたの問題じゃない。
語彙の豊富さでもない。
では……

…てなことで、ここ数日、カリカリしつつ、時々自戒し、パソコンに向かう日々。





この想い言葉ではもう伝わらぬ   鞠子