ムヒカさんが東京外大で講演した、という新聞記事を読んだ。

ホセ・ムヒカ氏。南米ウルグアイの前大統領。
数日前から、「世界でいちばん貧しい大統領」という肩書きと、好々爺っぽい雰囲気が気になっていた。
しかし、記事を読んでみたら、ドキリとするよな鋭い指摘をされている。

あえて2点、ピックアップ。

(1)「この社会を形づくる市場経済というものからは倫理、特に哲学が分離してしまった」

この社会と向き合う上で、哲学・政治・倫理という価値体系が存在する…と前置きした上でのこの「哲学分離に対する警鐘」。

哲学・政治・倫理、と言い切ってしまっていることに驚いたが、考えてみれば、これほどストレートでシンプルなくくりはない。
1つ1つが、深い意味を含んでいる。
ムヒカさんがいう「哲学」とは、それこそ「辞書に説明されている意味」だけを指しているのではないと思う。

ドシロートで浅薄な私でも、今の市場経済は「今さえよければ」感で動いている気がしてならない。
そこには「哲学」は感じられない。
しかし、哲学を取り戻すのは難しく、取り戻したとしてもそれをもとに市場経済を立て直すのは、簡単なことではない。

今だけの「楽」や「贅沢」を当たり前に享受している自分自身、これを捨てるのが容易でないことは、実感としてわかるから。


(2)「お金で物を買っていると思うだろうが、実は自分の人生の一定の時間と引き換えているのだ。家族や子どもと過ごす時間を削って消費する」

わかる、これ。
「すき間の時間をカネに変えようと手を尽くすのがIT関連企業」…ITが人に与える影響を研究している大学教授に聞いたこの言葉が、今も鮮明に残っている。

なにもイマドキのITに限ったことではない。
TVだって、「家族が顔を見ながらしゃべる」という機会を減らした。
新幹線や自動車だって、「道中、キョロキョロしながら、しゃべりながら移動する」という機会を奪った。

過剰な進歩、過剰な消費は、「人間の本来の時間の使い方」を大きく変えてしまったのだと思う。
そのことが、人を蝕んでいくに違いないことは、もうあちこちで予兆が出ている。

順当にいけば、まだ私もウン十年は生きていることになる。
その間、どんな毎日が待っているのか。
ムヒカさんの問い、「日本人は本当に幸せですか?」に「Yes」と答えられる日が来るのか。

…全く自信がない。




「哲学」の一語に満る幸の道    鞠子