今回の映画鑑賞は『ドリームホーム 99%を操る男たち』。
大変一面的な見方だが、尾崎紅葉『金色夜叉』を思い出してしまった。
尾崎紅葉『金色夜叉』は金に目がくらんだ女・宮が彼氏・貫一を裏切り、裏切られた貫一は「金」を非情に取り立てる高利貸しの手代となって復讐する(実は、そんな単純な内容ではないのだが)。
一方『ドリームホーム…』は、家賃を滞納したため、不動産屋(という名の立ち退き屋)に住み慣れた家から強制退去させられた主人公・デニスが、とりあえず家をとり戻すための金ほしさに立ち退き屋の仕事を手伝い、そのうち右腕となり、金を稼ぎまくる。
「金」には「金」を。
「金がない」ことで人生を絶たれたから、どんな手段を使ってでも「金」を稼ぐ。
「現代版・金色夜叉」、いや、ある意味「アメリカンドリーム」とも言えるか。
もちろん、貫一もデニスも、多額の金を手にしたところで幸せにはなれない。
家族の絆、友人との絆、自分の良心…いたるところにほころびが出始めるからだ。
結局デニスは耐え切れず、文書偽造を自白し、社長共々捕まるという最悪の結論で終わる。
まあ、想像できるエンディングではあった。
だがしかし、冷酷な取り立て屋の不動産会社社長・リック・カーバーが、迷うデニスに、自分の父親の話をするところが一番響いた。
カーバーの父は、屋根職人として、地道にこつこつ働いたのだ。
だが、屋根から落ち、働けなくなった。
誰一人、もう見向きもしない。
そうしてあっという間に貧困のアリ地獄に落ちた。
まじめにやれば報われる…なんて、ふざけるんじゃない!
…地獄を見たカーバーだからこそ、鬼気迫るものがあった。
…それでも幸せは、「金」だけでは得られない。
どう生きても、決して「楽」ではないのだ。
誰も救われない、重い結末の映画だった。
幸せがカネで買えたら楽なのに 鞠子
幸せはどこに行ったら買えるのか 鞠子
大変一面的な見方だが、尾崎紅葉『金色夜叉』を思い出してしまった。
尾崎紅葉『金色夜叉』は金に目がくらんだ女・宮が彼氏・貫一を裏切り、裏切られた貫一は「金」を非情に取り立てる高利貸しの手代となって復讐する(実は、そんな単純な内容ではないのだが)。
一方『ドリームホーム…』は、家賃を滞納したため、不動産屋(という名の立ち退き屋)に住み慣れた家から強制退去させられた主人公・デニスが、とりあえず家をとり戻すための金ほしさに立ち退き屋の仕事を手伝い、そのうち右腕となり、金を稼ぎまくる。
「金」には「金」を。
「金がない」ことで人生を絶たれたから、どんな手段を使ってでも「金」を稼ぐ。
「現代版・金色夜叉」、いや、ある意味「アメリカンドリーム」とも言えるか。
もちろん、貫一もデニスも、多額の金を手にしたところで幸せにはなれない。
家族の絆、友人との絆、自分の良心…いたるところにほころびが出始めるからだ。
結局デニスは耐え切れず、文書偽造を自白し、社長共々捕まるという最悪の結論で終わる。
まあ、想像できるエンディングではあった。
だがしかし、冷酷な取り立て屋の不動産会社社長・リック・カーバーが、迷うデニスに、自分の父親の話をするところが一番響いた。
カーバーの父は、屋根職人として、地道にこつこつ働いたのだ。
だが、屋根から落ち、働けなくなった。
誰一人、もう見向きもしない。
そうしてあっという間に貧困のアリ地獄に落ちた。
まじめにやれば報われる…なんて、ふざけるんじゃない!
…地獄を見たカーバーだからこそ、鬼気迫るものがあった。
…それでも幸せは、「金」だけでは得られない。
どう生きても、決して「楽」ではないのだ。
誰も救われない、重い結末の映画だった。
幸せがカネで買えたら楽なのに 鞠子
幸せはどこに行ったら買えるのか 鞠子