悪運を呪いたくなった。

今宵は、大森南朋さまの舞台を観に行ったのである。

ナマ南朋さまに会うのは何年ぶり?
もうワックワクで会場入り(-o-)/
ところが、
パンフを購入し、席で読んでいたら、目の前の席に「(@ ̄□ ̄@;)!!」な男性が…

彼は何も悪くない。
だから怒る私が間違っている。
だがしかし、言わずにいられない。

…頭がかなりに大きいのだ。
それも、どちらかというと「タテ」に…

舞台セットは中央にテーブル、向かって左に応接セットがあるのだが、彼の頭で応接セットは全く見えない。

…南朋さまの定位置は、そこだったのでアル。
…もう、泣くに泣けなかった。

…ということで、南朋さま狙いの私が観た舞台は、赤堀雅秋  作・演出『同じ夢』。
南朋さまはじめ、光石研、麻生久美子、田中哲司…と、そうそうたる役者陣が登場する。

さえない商店街にある精肉店を舞台に描かれる、「心に大小様々なささくれ」を持った登場人物たちの「ごく普通の日常」。

誰もそのささくれから逃れることはできない。
それが当たり前といえば当たり前の日常なのだ。

…と、なんかカッコよく書いてみたが、このところ、歌舞伎という「大いなる、かつ明らかなる作り物」を観慣れているせいか、「中途半端なリアルさ」が気になって仕方なかった。

例えば会話の「間(ま)」。
普通、その「間」は不自然だろう、とか。
テーブルにいる3人がおしゃべりしてて、応接セットにいる2人(←こちらが見えニャイ(`Δ´))が別の話題で会話してて、もう1人が電話をしている、というシーンなど、みなが「同じボリュームで話す」ため、私には、何を話しているのか全くわからない。
そもそも狭い部屋のなかで、こんなふうに同ボリュームで話すなんて、ないのではないか、とか。
リアルなようでリアルでないとこが、なんだかムズムズッとしちゃうのだ。

と・に・か・く、
南朋さまが、充分ガン見できなかったことが、今も腹立たしくてならない。

でもな、やっぱり、
南朋さまはとってもステキだった、うん。



惹かれてく底のない沼堕落の香         鞠子