野坂昭如さんが亡くなった。
私も『火垂るの墓』はつらくて観れない人だ。

その野坂さん、妹を亡くしたときの思いを、こう述べている。
「そういう思いは、他人に百分の一も伝えられず、言葉にしたとたん、自己弁護や美化がまじってしまうもの。他人に思いを伝えるというのは、そういう厳しい営みなのだ」、と。

文学講座の課題図書『細雪』について、H教授は「伝聞と忖度」と言い表した。

そう言われれば、日常は、すべて「伝聞と忖度」で成り立っている。

自分が経験したことを「忖度」して他人に「伝聞」する。
自分の心のうちも、「忖度」して他人に「伝聞」する。

私が聞いたあなたの話も、あなたが「忖度」して、私に「伝聞」した結果だ。

文豪と言われる人たちですら、何を「忖度」し、どう「伝聞」するかに、心血をそそぎ、心身ともにすり減らしてきたのだ。

野坂氏が言うように、他人に思いを伝えるのは非常に厳しい営みなのである。

…私ごときが簡単にできることではない。

野坂氏の訃報にそんなことを考え&救われ&気持ちを新たにした。


文字列に貴方の忖度夢を見る     鞠子