今日のエクステンションカレッジは、なんだか「恋愛の話」一色だった。

受講生は大人ばかりだから(←…ってか、ほぼ「恋愛、いつの話?」みたいな年齢層ばかり)、「恋愛の話」も一歩引いて見れるな。

しかし、なかでも圧巻はこれ。

「恋愛は人生の秘鑰なり、恋愛ありて後人生あり、恋愛を描き去りたらむには人生何の色味かあらむ」

こうして、恋愛は人間の最高の価値だと言い切ったのは北村透谷。

…へぇぇ(-_-;)
ある意味、超ピュアじゃないの。
明治25年にこんな発言、それこそ命がけだったのではないか。

一方、大岡昇平『武蔵野夫人』(←これが課題図書)の中には、「そもそも彼女(←道子)が最初夫に熱中し得たのも、恋ではないと思えたからである」と言い、「道子は恋をしたことがなかった」と断定している。
『武蔵野夫人』全編を通し、「恋愛」を微に入り細に入り、冷静かつ執念深く分析しているのに、この一説だけは安直ではないか。
解せない。
だって、少なくとも「熱中している間」は、充分に「恋」じゃないのか。

透谷の言う「恋愛」と大岡が言う「恋愛」に差を感じる。
いや、大岡の方が「恋愛」を厳密に精査しているのか。
だから「熱中」だけでは「恋愛」としないのか。

…完全、茶の木畑で迷子ってしまった。

しかし、H教授もやるなぁ(-_-;)
60代後半。
なのに、文学作品をもとに「恋愛」を真剣に語る。
語りだしたら止まらない。

ちなみに、
透谷の一説は、何も見ずに一気に板書された。
すごいなぁ。

それから、どうしても解せず、
「熱中してる間は恋だ。ここは大岡の認識不足じゃないのか」説をH教授にメールで問うておいた。

さて、回答は???