二件、続けて「自殺」の記事を目にした。
一人は、競輪の児玉広志選手。
競輪王と言われた実力の持ち主だったが、交際していたアナウンサーへのストーカー行為で起訴されていた。
そしてもう一人は、電気柵を設置した西伊豆町の男性。
この柵に感電し、男性2人が亡くなるという事故が起こっていた。
つまり二人とも「加害」を責められる立場にいた。
それを、自分の命で清算した。
私は「自殺=悪」と言い切ることはできない。
むしろ、自分の命を自分でどうしようと「自由」だと思う。
だが、その結果はどうなのか。
被害側の人たちは、それで単純に気が楽になったりはしない。
家族や知人など、取り巻く人々の心は傷つける。
死後の処理は、取り巻く人々の手をわずらわせる。
そうして残った人々を苦しめておいて、死んだ本人はあずかり知らないことになる。
自分で自分の命をどうしようと勝手だ。
だけど、そのために人に余計な迷惑をかけてもいいことにはならない、と思う。
ふたりの自殺は、なんともやりきれない。
同時に、釈然としない。
いたましい人が、さらに増えたのだから。
一人は、競輪の児玉広志選手。
競輪王と言われた実力の持ち主だったが、交際していたアナウンサーへのストーカー行為で起訴されていた。
そしてもう一人は、電気柵を設置した西伊豆町の男性。
この柵に感電し、男性2人が亡くなるという事故が起こっていた。
つまり二人とも「加害」を責められる立場にいた。
それを、自分の命で清算した。
私は「自殺=悪」と言い切ることはできない。
むしろ、自分の命を自分でどうしようと「自由」だと思う。
だが、その結果はどうなのか。
被害側の人たちは、それで単純に気が楽になったりはしない。
家族や知人など、取り巻く人々の心は傷つける。
死後の処理は、取り巻く人々の手をわずらわせる。
そうして残った人々を苦しめておいて、死んだ本人はあずかり知らないことになる。
自分で自分の命をどうしようと勝手だ。
だけど、そのために人に余計な迷惑をかけてもいいことにはならない、と思う。
ふたりの自殺は、なんともやりきれない。
同時に、釈然としない。
いたましい人が、さらに増えたのだから。