ナミダのクッキングNo.1572 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

たまたま見ていた番宣で、企画そのものがおもしろい!と思ったのは、NHK『日本美インパクト!』。

いわゆる「日本の名画」といわれるものを、全く別ジャンルのプロたちが鑑賞し、新たな魅力を発見するという内容だ。

私が見た番宣で取り上げられたのは葛飾北斎『諸国滝廻り 下野黒髪山きりふきの滝』なる滝の絵。
この名前は初めて知ったが、絵そのものは私も知っていた。
これを「釣り名人」「パティシエ」「庭師」計30名が、鑑賞し、それぞれの視点から意見を言い、それぞれの手法でアプローチする。
釣り名人は「どのポイントに立てば釣れる?」だし、パティシエは「基調になってる青色がまずそう。水の流れをどんな材料(お菓子の)で表現する?」だし、庭師は「滝は木の根?」・・・なんて。

同じものを見ても、見る視点、感じ方が全然違う。

興味あるなあ、これ。

そいえば、まだ悪戦苦闘中の小林秀雄。
新潮文庫『モオツァルト・無常という事』のようやく『雪舟』までたどりついた。

この本自体、「小林批評美学の集大成」と言われおり、モーツァルトやら西行やら蘇我馬子の墓やら光悦やら、さまざまなジャンルの「芸術」について書かれているのだが、とにかく小林先生の「芯が熱い」。
熱が充満しすぎて逆に沈黙してしまった鋼鉄の固まりのような心中を、奥の深い言葉で呻くように語るため、私のレベルではとにかく悪戦苦闘するしかない。

この小林先生、雪舟の『山水長巻』を見ているうちに動けなくなり、その上『山水長巻』の中に「入り込んで」しまった。
本当に入り込んでしまい、画中を一緒に歩いてしまうのだ。

この部分を読んだ時、違った意味で、私も固まった。
絵とは、ここまで鑑賞させる力のあるものなんだろうか、いや単に小林先生が特別なんだろうか、と。

別道のプロは、また違った鋭さを持った見方をする。
つまり絵とは、すごく恐ろしい表現方法ではないか・・・と、番宣を見てて、そんな想像をしてしまった。

いずれにしても、小林先生の境地は、私は一生味わうことがないだろうし、もし、そんな境地が味わえる人間だったら、どんなに生きづらかっただろうか…などと、凡人であることにちょっぴりほっとしたりもした。

…本日の昼休みは、番宣一本で哲学したようだ。(←なんと安あがり)