ナミダのクッキングNo.1569 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

この前、スイミングで泳いでいた時、途中で同じコースに誰かが入ってきたことがわかった。
よくあること。ただし「混んでいれば」の話だけど。

私の感覚なら、そうして途中で入り込む場合、既に泳いでいる人がサイドまで戻ってくるのを待ち、ターンするところで一声かける。
もし、その人が止まらず泳ぎ続けるなら、会釈する。
そうして「入り込みました」ということを伝えるのが礼儀だと思う。というより、同じコースに入ったことを伝えないと、途中でぶつかりそうになったりして危険だと思うからだ。

しかし今回入ってきた人は、入るなりいきなり泳ぎだしたらしく、バックで泳いでいた私は途中でまともに水しぶきを受け、びっくりした。
それでも何とかサイドまで泳ぎ着き、立ち止まって確認した。
無神経な入り込み方にイラっとしたのも事実だが、立ち止まってもっとびっくりしたことがある。

他コース、がらがらに空いてんのである。
私が身を引く必要は全くないと思ったが、空いてるんなら自分のペースでのんびり泳ぎたいので、そそくさとコースを変わった。

この割り込んできた人、ふだん見かけない人だった。
しかしどうして、わざわざ私のいるコースに入ってきたんだろう。
全くわけがわからなかった。

…のだが、今朝、新聞を読んでて初めて知った。
「他人とうまく距離感がとれない」という障害を持つ人がいる、ということを。

Aさん、
大学の大教室で女の子の隣に座ったら、彼女は黙って席を変った。
何か迷惑だったのだろうかと、Aさんは不思議でならない。
しかし、
教室は、席数が2000席以上もある。
空席はいくらでもあった。がらがらだったのだ。
ふつうはその状況なら、わざわざ面識のない女の子の隣に座ったりしない。
もちろん、「話しかけるチャンス」という下心がある場合は別の話だが、そうでなければ「気持ち悪い変な人」と思われても仕方ない。
そのあたりが感覚としてつかめない、という障害なのだそうだ。

広汎性発達障害。
異性との距離に無頓着というのが障害の特性の一つだった。

しかしこれって、考えようによっては「紙一重」ではないか。

いかにそのような障害があっても、「いやな人」の隣には座らないのではないか。
たとえがらがらでも自由席なんだから、誰かの隣に座ろうと勝手ではないか。
しかし、座られた方が気味悪く感じるのも当たり前の感情ではないか。

こういう微妙な感覚というのは、そういえば、親や先生に教えられたわけじゃない。
いつどうやって身につくのだろう。

プールでコースに入り込んできたあの人も、もしかしてこういうハンディをお持ちだったのだろうか。
だとしたら、外見ではわからない分、誤解されるばかりでなんだか気の毒に思えてきた。