今週は月曜日からこのテの話題が多くて申し訳ない。
なんたって、かなり前からずっと、「H教授中毒」なのである。
最近など、先生の論文集を開かない日は、イラつくようになってきた。
もちろん、簡単には読み進めないから、毎日、少しずつ進むだけなんだけど。

そんな状況なので、
「受苦と小康」
これはなんとしても書いておかなくては。

講座最終日、H教授は夏目漱石の『門』を、「受苦と小康を描いた作品」と評した。

…やられた(-_-;)

もう、これを聞いた時、私は完全にひれ伏した。

超有名な作品なのでご存じの方が多いとは思うけど、非常に大雑把なあらすじを言えば、親友・安井の彼女(…っていうか内縁の妻と言った方がいいか)・御米を奪って妻にした野中宗助は、以後、2人でひっそりと人生を送る。
友を裏切った罪悪感にさいなまれ続け、苦しみぬいた果てに禅寺の門までたたいたものの、結局、救いは得られぬまま、ひっそりとした日々が今日も過ぎていく、というもの。

私は、「御米を妻にしてしまった」くだりが、人間の業の深さをまざまざと思い知らせる描写であること、子どもに恵まれない御米の境遇が、淡々とした筆致ながらも涙なしでは読めないこと、何をしたって過去は消えず、救いなど得られはしないのだ…などなど、一面的な浅い読み取りしかできず、それもこうしてくどくど説明しなければならない状態。

それを「受苦と小康」、たった一言。
まさしくその通りの作品じゃないの。
そうそう、実は私もそう言いたかったのよ…なんて、失礼にもホドがあるか。

この間、先生の指導により読んだ正宗白鳥、尾崎紅葉、太宰治、谷崎潤一郎、夏目漱石、etc… それぞれに、ものすごく感動した。
だけどその感動は、どうしても言葉としてうまくまとまって出てこない。だから、イライラ・モンモンしっぱなしなのである。

どうしたら、こんなに的確な言葉がズバリと出てくるようになるのだろう。

とにかく、先生の文庫本に引いた線の数、マーカー、書き込みはすさまじい。
地の文が解読不可能になってるくらい。
もちろん、本自体もぼろぼろで、版の違う同じ本を何冊も持っていらっしゃる。
海外の小説だと、翻訳者が異なるものをいくつか持ってこられる。

まあ、専門家なんだから当たり前なんだろうけど、それらの資料のすごさを見るにつけ、やっぱりここまでやらなきゃ言葉は出ないよな、って思う。

それで、
今まで、余りに難解そうで手が出せなかった「小林秀雄」にチャレンジしてみることにした。
H教授の専門は、実は「小林秀雄」なのである。
さっそく、先生の論文集と『モォツアルト・無情ということ』を購入した。

一歩でも近づきたい。
自分のレベルを上げたい。

…結構、必死、なのである。