今年の4月、私の住んでいる市では、小学1年生から「英語」が正式教科になることになった。
今までも、簡単なあいさつを学んだり歌を歌ったりするという「お楽しみ的」な時間はあったのだそうだが、4月からは正式教科、つまり成績がつく教科になる。
どうなのか、これ。
私は直感的に、ヤバいものを感ずるのだが。
「国際人を育てるために英語は不可欠」「言語だから、早いうちから学んだ方がいい」というのは、わからなくもない。
しかし、「母国語あっての英語」ではないのか。
その母国語教育が、どうにも不十分な気がしてならない。
わが市の英語教育の低年齢化について、「正しい発音や会話能力を身につけやすいが、文字を正しく書くことや文法に偏ると逆効果だ」と、微妙な懸念を示している識者もいたが、「習うなら、聞けて、話せて、書けなければならない。それには早いうちから教えてもらった方がいい」と推奨しているジャーナリストもいた。
でも私は、将来、翻訳の仕事をしたいと考えている中学生に向けて、プロの翻訳者が言っていたこのことの方に、共感する。
「将来、翻訳の仕事をしたいなら、今のうちに、英語よりまず、とにかくたくさんの美しい日本語、正しい日本語に触れて下さい」
今までも、簡単なあいさつを学んだり歌を歌ったりするという「お楽しみ的」な時間はあったのだそうだが、4月からは正式教科、つまり成績がつく教科になる。
どうなのか、これ。
私は直感的に、ヤバいものを感ずるのだが。
「国際人を育てるために英語は不可欠」「言語だから、早いうちから学んだ方がいい」というのは、わからなくもない。
しかし、「母国語あっての英語」ではないのか。
その母国語教育が、どうにも不十分な気がしてならない。
わが市の英語教育の低年齢化について、「正しい発音や会話能力を身につけやすいが、文字を正しく書くことや文法に偏ると逆効果だ」と、微妙な懸念を示している識者もいたが、「習うなら、聞けて、話せて、書けなければならない。それには早いうちから教えてもらった方がいい」と推奨しているジャーナリストもいた。
でも私は、将来、翻訳の仕事をしたいと考えている中学生に向けて、プロの翻訳者が言っていたこのことの方に、共感する。
「将来、翻訳の仕事をしたいなら、今のうちに、英語よりまず、とにかくたくさんの美しい日本語、正しい日本語に触れて下さい」