これ、解せなかった。
今朝、G新聞に載ってたコラムについて。

筆者(新聞記者)の主張の要旨は以下の『』内。

『日本語入力ソフトは、パソコンより携帯やスマホの方が賢く感じる。
ある単語を一度打つと、次からはその語が変換候補の先頭にくる。
ネットからも、情報収集して予測変換する』

…確かにその通り。
パソコンですら他人が使ってるものは、変換の順位が私と違ってて使いにくかったりする。
携帯やスマホはさらに、だろうなあ。

『ところが、記者用ワープロではこうはいかない。誤変換しないよう、文脈を考えて選択しなければならない。イライラさせられる』

…え~っ、絶句(-_-;)
だってこの人たち、「文章書きのプロ」でしょ。
文脈を考えて考えて考え抜かなきゃならない仕事じゃないの。
…とはいえ、狙ってる語、何度も繰り返し出てくる語がさっと出てこないとイラつく気持ちはわからなくもないな。

『若者の活字離れが進んでいるとよく言われるが、スマホを使いこなす若い世代ほど、思考の流れに沿ってスムーズに表現することができそう』

…文脈を考えて選択しなくてもいいから、ということか?
そうか?そうかなあ?

『メール、ライン、ツイッターなどのやり取りのスピードに中高年はついていけない。文章表現力では若者に1日の長がある時代…かもしれない』

…つまりこの筆者は、「文章表現力=スピード」だと考えているようだ。

さっぱり解せぬ。いかにも浅くないか?

文章表現力、というなら、テクニックとかスピードだけでははかれない、と思うけどな。
一刻もはやく伝えなければならない文章もあれば、じっくり熟成させて書かねばならぬ文章もある。
伝えたいことがあふれる文章は、文法も言葉遣いもめちゃめちゃなことがあるけど、だからこそ、思いの強さが伝わって感動させられたりする。

そもそも、思考の流れに沿ってリアルタイムに「文字化する」こと自体、ムリがある。
思考の流れって、そんな単純なものじゃない。

文章表現力とは、極端に言えば「全人格がかかっている」、と私は思う。

この筆者さん、もはや「手書きで記事を書く」なんてできないんだろうな。
素人の私でさえ、「手書きで文章を書けなくなっている」ことが情けなくてたまらないのに、この筆者さんは、そんなこと、考えもしてなさそうだな。

ものを書くプロが、そんなことでよいのか?