明日はいよいよ演奏会、ということで、勤務時間中は心穏やかに過ごした。(←つまり、仕事をしていない、ということだ)
3時間余りの曲を初めから終わりまで、響きだけで安定的に歌う、というのが、今回の私がひそかに誓った目標なのである。(←これが音楽的にどうなのかはわからないが)
それで、樋口隆一氏の書いた「音楽家ペーター・シュライアー」という文章を読んでみた。(←仕事中に)
シュライアーが指揮をしながらエヴァンゲリスト(福音史家)を歌うという超人技の『マタイ受難曲』CDを持っているのだが、何度聴いても、聴くたびに「心が澄んでいく」のである。
感情を入れ込みすぎず、「オレがオレが…」という歌い方ではなく、いかにも「正統」な歌い方。
言い方を変えれば、「たんたんと歌ってて、面白味がない」ともとれる。
だけど、心にしみ入るのはなぜなのか。
樋口氏は、シュライアーと話した時の印象を「大歌手である以前に、幅広い教養をもった知識人であると感じた」と書いている。
そして、「あらゆる観点から作品にアプローチしようという開かれた姿勢を持っている」、それが「戦後最大のドイツ系テノール歌手と言われるゆえん」、だとしている。
なんかさあ、わかるわ、これ。
…というより、私、わかるようになってきたわ、こういうこと。
確かに、先天的な「声帯のよしあし」や「音楽的才能」もあるだろうし、その後の「訓練」や「出会った指導者」にもよると思うけど、単に「歌が上手」だけでは、人の心は打たない。
大げさに言えば、人生すべてがないまぜになって、「今の自分の歌」になるのである。
シュライアーの歌は、歌い始めも歌い終わりもきちんと丁寧なのがとても心地よい。
音楽を真正面からとらえ、それも敬虔な態度で真摯に向き合っていることがすごくよくわかる。
シュライアーがモーツァルトのオペラを歌うと、周囲の歌手にまで音楽的にいい影響が及ぶのだそうだ。
あぁ、わかる、これも。
10年ほど前に歌手としては完全引退。
ナマ声は聴いたことがなく、もう二度と聴けないのが今さらながら悔しくて仕方がない。
…明日は、心を落ち着けて、「一期一会」の気持ちでマタイを歌いたいと思います。
響きだけで安定的に…
3時間余りの曲を初めから終わりまで、響きだけで安定的に歌う、というのが、今回の私がひそかに誓った目標なのである。(←これが音楽的にどうなのかはわからないが)
それで、樋口隆一氏の書いた「音楽家ペーター・シュライアー」という文章を読んでみた。(←仕事中に)
シュライアーが指揮をしながらエヴァンゲリスト(福音史家)を歌うという超人技の『マタイ受難曲』CDを持っているのだが、何度聴いても、聴くたびに「心が澄んでいく」のである。
感情を入れ込みすぎず、「オレがオレが…」という歌い方ではなく、いかにも「正統」な歌い方。
言い方を変えれば、「たんたんと歌ってて、面白味がない」ともとれる。
だけど、心にしみ入るのはなぜなのか。
樋口氏は、シュライアーと話した時の印象を「大歌手である以前に、幅広い教養をもった知識人であると感じた」と書いている。
そして、「あらゆる観点から作品にアプローチしようという開かれた姿勢を持っている」、それが「戦後最大のドイツ系テノール歌手と言われるゆえん」、だとしている。
なんかさあ、わかるわ、これ。
…というより、私、わかるようになってきたわ、こういうこと。
確かに、先天的な「声帯のよしあし」や「音楽的才能」もあるだろうし、その後の「訓練」や「出会った指導者」にもよると思うけど、単に「歌が上手」だけでは、人の心は打たない。
大げさに言えば、人生すべてがないまぜになって、「今の自分の歌」になるのである。
シュライアーの歌は、歌い始めも歌い終わりもきちんと丁寧なのがとても心地よい。
音楽を真正面からとらえ、それも敬虔な態度で真摯に向き合っていることがすごくよくわかる。
シュライアーがモーツァルトのオペラを歌うと、周囲の歌手にまで音楽的にいい影響が及ぶのだそうだ。
あぁ、わかる、これも。
10年ほど前に歌手としては完全引退。
ナマ声は聴いたことがなく、もう二度と聴けないのが今さらながら悔しくて仕方がない。
…明日は、心を落ち着けて、「一期一会」の気持ちでマタイを歌いたいと思います。
響きだけで安定的に…