例えば「尊敬している師」が、「衰えたのかも?」と感じるような言動をした時、どうしようもなく悲しくなる。

これって、変なんだろうか。

この前、追っかけているH教授が講師を務めるカルチャーセンターの文学講座に出た時、初めて遭遇してしまった。
H教授、ある小説の登場人物の名前が出てこなかったのである。

H教授は幅広い分野にわたり、深い知識を持ってらっしゃる。
講座ではいつも、課題図書から派生するさまざまな分野の話を面白おかしく、わかりやすく話されるのだが、今回、途中でどうしても出てこない登場人物の名前があった。

課題図書とは一見、何の関係もない小説で、教授の御年からしても、「名前が出てこなくたって全然不思議じゃない」んだけど、「えっと、誰でしたっけねぇ、えっと、え―っと…」と言われる姿を見て、ものすごく悲しかった。

実は、もひとつ、あったんだ。

所属する合唱団のU先生。
声がすてきだし、難しい楽譜を見て、いきなり歌っても「音の高さも、もちろん音も、正確」。
そのたびに、ただただひれ伏していたのだが、この前、初めて遭遇してしまった。

楽譜と明らかに違う旋律で歌われたのである。

後追いで伴奏者がピアノを弾いても、なかなか正しく音がとれなかった。

とても難しい曲だし、先生の御年からしても、「その程度の間違いは全然不思議じゃない」んだけど、数回、歌い直しされ、ピアノに音を要求されている姿を見て、ものすごく悲しかった。

お二人とも、確かに、御年のせいなんだろう、と思う。
いや、今でも御年以上に力はお持ちなのである。
なのに、こういう姿を見ると、悲しくて切なくなる。

もしかして、
ご本人たちは、もっと耐えがたい思いなのではないだろうか。

そう考えると、ますます悲しく切なくなる。