単発参加したカルチャーセンター文学講座で、太宰治『親友交歓』を読んだ。
主な登場人物は、「私」と「平田」。
「私」が罹災して津軽の実家に疎開している時、「小学校時代の同級生だ」と語る「平田」が訪ねてきて上がり込み、傍若無人にやりたい放題するのである。
「私」は振り回された挙げ句、大事にとっておいたお酒もすっかり奪われる。
それなのに「平田」は、帰りがけ、「私」を奈落のどん底に突き落とす一言を「耳元で激しく、囁く」のである。
「私」は実家が津軽だったり、「平田」に「お前も東京では女にしくじった」と言われたり、「修治」と呼ばれるくだりからも、太宰本人を投影して書かれていることは間違いなさそうだ。
では、「平田」は、実在の誰かなのか。
自分で読んだ時、やりたい放題で図々しく、低レベルでいじましい平田が、急所一撃の的確な一言を放ったことに、「違和感を感じない」のが不思議だった。
でも、先生の指摘の中に、答えが見えた。
「平田」はある意味、「太宰自身」なのだ。
いや、むしろ「平田」の方が自分に近いのかもしれない。
勝手ことをしまくる平田に対処するため、例えば金を出したり、酒のない時代にウィスキーを出したり、見ようによっては「金持ちひけらかし」だ。
決してそんなつもりはないのだが、相対する相手によっては、太宰は「鼻持ちならないヤなやつ」だ。
人の心のすき間まで見えてしまう太宰は、自身のおごりも嫌というほど知っていた。
そして自分を責め、苦しんでいた。
これを書いた2年後、太宰は命を断つ。
『親友交歓』の大袈裟でユーモラスな筆致が、むしろ痛々しく思えた。