久しぶりに美術館へ。
熊谷守一展に行ってきた。
実は、郷土ゆかりの洋画家なんだけど、今まで名前しか知らず、知識ゼロ。
一度、きちんと見てみたいと思ってて、運よく機会に恵まれた。

う~ん、なかなか難しいぞ、これは。
乱暴に言っちゃうと、表現が、シンプルすぎるほどシンプルなのである。

例えば、こう。



「百日草」、なんだそうだ。

百日草、かあ。百日草、ねえ。
私の知ってる百日草とはずいぶん違うなあ。

100点以上もの作品を見ながら、思った。
単純な形、明確な色あい、太い輪郭線…本来、複雑な形状のものから余分なものを思いきって捨て、限界まで単純化して表現するのは、邪念にまみれた普通のオトナにはムリだ。
守一の作品は、「無垢な子どもが見たまま」なのではないか。

日々の生活で次から次と口から出る言葉も、書いた文章も、知らないうちに相手の心をさぐり、意識して、飾ってしまう。
そうして本心はうまく隠す。

いやいや、本心なんて、自分だってわからないのだ。
刻々と形を変えるし、どんなツールを使っても、寸分たがわず表現することはできない。

守一は、絵を描きながら、自分を含めた人間のそんな「偽り」と「表現の限界」に病みつかれたのではないか、と思った。