ナミダのクッキングNo.1284 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

なんとなく読む機会に恵まれなかった田辺聖子。
いつぞや信頼のおける人に、「源氏物語、読むつもりなら絶対、田辺聖子」と薦められたんだけど。

源氏物語…まで古典になると、気が重い。
ましてや田辺聖子って、コテコテの大阪のオバサン、というイメージで、騒がしそうな感じが苦手だろうな、と思ってた。
それが、ブックオフでふと目について、買ってしまった。

『ふわふわ玉人生 楽老抄Ⅲ』

ご自身の読書歴をもとに書かれたエッセイ集だ。

やっぱり源氏物語や古事記、日本書紀からスタートするのだが、中盤、藤沢周平の作品について書かれたあたりで、この人のエッセイの特徴に気づいた。

語彙がとても豊かなのだ。

例えば、
「その底からたちのぼる情味の香気」
「藤沢さんの筆にみちびかれて現し身(うつしみ)でたたずむ」
「いかにも空青く、水清き北の国の哄笑である」
…など、時代物は読まない私が1冊だけ読んだ藤沢周平をまざまざとよみがえらせた。

すごいなあ。
こういう奥行きのある表現が、さらりとできるなんて。
おまけに、知らない漢字でも、充分想像しながら読め、感覚的につかめてしまう文の流れなのである。

いや、読み側は「さらりと」、でも、書く田辺さんは一心不乱かもしれないが。

それにしても、
たまたま田辺さんとは出会いを得たが、出会わないまま知らずにすんでしまう作品も山ほどあるんだよな。

死ぬまでに触れられる作品なんて、ほんの少ししかないんだもん。

そう考えると、めっちゃあせるんだけど。